映画『風の谷のナウシカ』には原作があることはご存知でしょうか。
実は原作の漫画では、映画ではほとんど描かれなかったナウシカの世界の背景がしっかりと描かれているのです。
今回はそんな面白いナウシカの『世界』を、漫画版を読んだことがない人にも分かりやすく解説・考察していきます。
更新日 : 2025年03月26日
<プロモーション>
映画『風の谷のナウシカ』には原作があることはご存知でしょうか。
実は原作の漫画では、映画ではほとんど描かれなかったナウシカの世界の背景がしっかりと描かれているのです。
今回はそんな面白いナウシカの『世界』を、漫画版を読んだことがない人にも分かりやすく解説・考察していきます。
まずはナウシカたちの世界をざっくり解説します。
『PUBG』『荒野行動』『Apex Legends』などのバトルロワイアルゲームを知っていたらそれをイメージしてください。ナウシカの世界はあんな感じです。
世界には『腐海』と呼ばれる有害物質で汚染されてしまった地域があり、その汚染範囲は時間を追うごとに拡大されていき、ナウシカたちの生活圏はどんどん狭まっています。
『風の谷のナウシカ』とは、そんな世界で足掻く人間たちの話です。
▼映画版との差異
・ペジテとトルメキアの争いはない ・王蟲の幼生を使ったのはペジテではなく土鬼諸侯国連合 ・クシャナは巨神兵を使わない ・ナウシカの父はトルメキア兵に殺されない ・結構簡単に人が死ぬ |
●トルメキアと土鬼の戦争が始まる
(商船が風の谷に落ち、クシャナ一行が現れるまでは映画とほぼ同じ)
風の谷からクシャナ一行が立ち去った後、トルメキアから風の谷に出兵要請が来る。
ナウシカと数人の風の谷の民がガンシップで出撃。ナウシカは戦火の渦へと巻き込まれていく。
●王蟲の大群が押し寄せる
土鬼諸侯国連合が『王蟲の幼生』を使った攻撃で、クシャナの部隊は壊滅状態になる。
●土鬼皇“弟”「人工巨大粘菌でトルメキア滅ぼそ!」
つまり核爆弾落としてさっさと戦争終わらせようとしたアメリカ的なアレ。
土鬼の研究者が、腐海の粘菌を改造した細菌兵器をトルメキア領土に落とそうとするも、培養液の中で突然変異した粘菌が暴走し、土鬼領土に落ちてしまう。
結果、土鬼領土の大部分が腐海に沈み、部隊も皇弟ミラルパも虫の息。
●土鬼皇“兄”「よーし張り切って戦争しちゃうぞ❤」
虫の息になった皇弟ミラルパをサクッと殺し、意気揚々と戦場に出てきたのは、戦争大好き兄のナムリス。
不死身のヒドラ(ホムンクルス)兵を連れて戦場へと出発。そして、巨神兵を従えたナウシカと、ナムリスの戦艦に捕らえられていたクシャナたちに敗れる。
●土鬼のオーバーテクノロジーはどこから?
『シュワの墓所』から。
皇帝たちの不老の手術も、ホムンクルスや人工粘菌・王蟲を作ったバイオ技術も、『シュワの墓所』という旧人類の遺産からもたらされたものだと、判明する。
●ナウシカ「人間舐めんな」
『シュワの墓所』は旧人類が作り上げた、遺伝子技術が詰め込まれたデータベース。その目的は旧世界の復興、そして、闘争心の無い新人類の創造。
腐海も王蟲も巨大粘菌も、全てはこのデータベースに刻まれた予定通りのもの。全部旧人類のシナリオ通りだった。
●ナウシカ「焼き払え!!」
自分たちの未来は全て旧人類のシナリオに縛られていると知ったナウシカ。
そのシナリオの要である『シュワの墓所』のデータを壊すために、ナウシカは巨神兵を使って墓所を破壊した。
ナウシカは、決められた未来ではなく、自分たちでつかみ取る未来を選んだのだった。
映画版とは関係性がだいぶ変わっていたり、勢力がいくつか増えていたりしています。
特筆すべき点は、映画ではトルメキアが風の谷に突如侵攻してきた敵国という設定になっていますが、漫画版では同盟関係にあるという点です。
漫画では『土鬼諸侯国連合』という大国がトルメキアと対立しており、ナウシカたち風の谷はトルメキアVS土鬼の戦争に、トルメキア側として参戦することになります。
ナウシカの故郷。トルメキアと同盟関係にある小国。
トルメキアから土鬼(ドルク)との戦争を行うための出兵要請をされ、ナウシカたちは戦争に巻き込まれていく。
この物語の主人公であり、風の谷の姫。
10人いた兄が全て死に、他に族長となれる人間がいなかったため族長となる。
風を読むことに長け、テレパシー能力によって蟲の声を聞く。
漫画版では同盟国であるトルメキア王国からの出兵要請に、風の谷代表としてクシャナ率いる部隊とともに従軍することとなる。
風の谷の族長で、ナウシカの父。
映画ではトルメキアの兵士に殺されるが、漫画版では腐海の毒による病死。
ジルの旧友であり、ナウシカの師匠。
辺境一の剣豪ながら、争いを好まない人格者。腐海の謎を解くために旅をしていたが、やがてトルメキアと土鬼の戦争に巻き込まれていく。
地下に埋もれた『火の7日間』以前の時代の遺跡から、エンジンやセラミック等を発掘して加工供給する工房都市国家。地下から『巨神兵』を発掘したことにより、それを欲したトルメキア(クシャナの部隊)に滅ぼされる。
ペジテ市の王子であり、唯一の生き残り。
復讐心に駆られ、ガンシップでクシャナ率いる艦隊を襲撃するも、ナウシカからの横やりがあり腐海へと墜落してしまう。
墜落した先の腐海でナウシカと出会い、協力関係を築く。
風の谷を含めた辺境諸国を傘下に従えている王国。
クシャナの上には三人の兄がおり、王位継承権を巡ってクシャナを謀殺しようと企んでいる。
因みに、三人の兄と国王は絵にかいたような私腹を肥やしたd…恰幅の良い男性。
トルメキアの第四皇女。漫画版におけるもう一人の主人公。負傷した部下(クロトワ)を見捨てずファイヤーマンズキャリーで運ぶイケメン。
戦略や先読みにも長けた武人であり、兵たちから絶大な信頼と忠誠を得ている。(引きこもりの太っちょ兄たちと比べたらさもありなん…)
母を陥れた兄や国王を引きずり落とすため虎視眈々狙っていたが…。
クシャナの軍参謀。平民出身で軍大学院修了者。
船乗りだったため操縦技術に長けており、機動力で劣るコルベット艦(大型船)で小回りの利くガンシップ(小型船)と対等にやり合う腕前を持つ。
野心家でしぶとくて皮肉屋。
元々は国王から派遣されたクシャナの監視要員であり、暗殺と『秘石の入手』を命じられたいたが、事態がそれどころではなくなり、クシャナへと寝返る。
映画版には登場しなかった勢力①
旧人類の作ったデータベース『シュワの墓所』からバイオ技術を提供してもらい繫栄した国。
皇帝たちは『シュワの墓所』から得た不老技術により数百年生きている。
土鬼諸侯国連合帝国神聖皇帝(皇弟)。
表向きは皇兄ナムリスと共に兄弟で帝位に就いているが、実際には実権を一人で掌握していた。
薬液に体を浸す『沐浴』という技術で長寿と若い姿を保っており、長時間外気に晒されると急激に肉体が劣化してしてしまう。
念動力や(超能力による)読心術、幽体離脱など、強力な超常能力を持つ。
土鬼諸侯国連合帝国神聖皇帝(皇兄)。ミラルパの兄。
弟と違い超常能力を持っていなかったため、数百年の間実権を握れなかった。
ヒドラ(ホムンクルス)との移植手術を繰り返し、不老不死の体を手に入れている。
大義も正義もなく、ただ己の欲望のままに振る舞う。
クシャナを嫁にしようとした。
映画版には登場しなかった勢力②
腐海を住居とし、腐海の外とは違う独自の文化を持つ人々。
腐海を住居にし、蟲を操り、遺跡探索や死体あさりで金目の物を探すことを生業としている。
子孫を残すため、戦争孤児や腐海の侵食を免れた子供などは保護して蟲使いとして育てている模様。
因みにめちゃくちゃ臭いらしい。
蟲使いから敬われる、伝説の存在(生きてる)
蟲の腸を服に、蟲の卵を主食に、蟲の体液で作った防護膜(泡)を住居にしている。
その正体は、300年前に腐海へと沈んだエフタル王国の末裔。
ナウシカたちが生きる世界には『腐海』と呼ばれる、有毒な瘴気を放つ植物が蔓延る地域が点在しています。
その有毒物質は、急激に体内に取り込めば死に至り、そうでなくても石化の病に侵されゆるやかに死んでしまうのです。
更にこの毒素は体内に蓄積され、生まれてくる子供にも影響を与えています。
ナウシカの上の兄弟が10人もいたのに全員死んでしまったのは、母体に蓄積された毒素が原因だったと、作中で推測されています。
そして、人類は瘴気の毒素によって出生率も右肩下がりになっている、というのが世界の現状です。
映画では『ナウシカの秘密の部屋』でその真実が語られます。
ナウシカ
「きれいな水と土では腐海の木々も毒を出さないと分かったの。」
「汚れているのは土なんです!この谷(ナウシカの故郷)ですら汚れているんです!」
そしてこの後、ナウシカとアスベルが腐海の地下に落ち、次のピースを手に入れ、ナウシカは更に真実へと近づきます。
ナウシカ
「腐海の木々は人間が汚したこの世界をきれいにするために生まれてきたの。」
「大地の毒素を取り込んで、きれいな結晶にしてから死んで砂になっていくんだわ。」
そう、実は世界は逆さだったのです。
ナウシカたちの住んでいる地域が正常なのではなく、
ナウシカたちは汚染された環境に適応した人類だから『正常に生きられる』だけだったのです。
【腐海とは】 滅亡した過去の文明に汚染され不毛と化した大地に生まれた新しい生態系の世界をいう 蟲たちのみが生きる有毒の瘴気を発生する巨大な菌類の森にいま地表は静かに覆われようとしていた。 |
でもちょっと待てください。
腐海がただ『汚染された大地に適応した環境』であれば、その後結晶化して浄化された環境が作られる理由が分かりません。
ナウシカとアスベルが落ちた砂に覆われた地下には、腐海の生物はいません。
その理由は汚染環境に適応した腐海の生物たちは『浄化された環境』で生きられないから。
勘のいい人は疑問に思った事でしょう。
それでは、腐海の真実について解説していきます。
度々人間に襲ってくる『王蟲』やその他の蟲。その行動には一定の法則がありました。
それは「腐海を害する人間の排除」。
そもそも『腐海』というのは旧人類が作り上げた、微生物を使った環境浄化装置(バイオ・メディエーション)です。
この事は原作の5巻67・142ページで発覚します。
永い浄化の時が始まったのです。
すべてが予定通り進んでいるのです。
大海嘯(ダイカイショウ)も粘菌もずっと昔から決まっていました。
(中略)
人間が汚したこの星をきれいにする為に王蟲は造られたのさ。
※大海嘯=腐海が急激に広がる現象の事
ナウシカたちの生活を脅かす『腐海』『王蟲』『瘴気』は全て旧人類の手によって人工的に生み出された環境でした。
長い時間をかけて、汚染された地球を元に戻す計画だったのです。
王蟲や腐海にいる蟲たちは腐海の苗床となるため、腐海がまだ侵食していない地域に赴き、死ぬ。
そしてその死体に菌糸を宿し、やがて腐海へとなっていきます。
さらに『王蟲』には苗床となる以外にも3つの役割が与えられていたと考えられます。
王蟲の役割 |
①『攻撃色』とい赤い目の状態 他の蟲同様、王蟲には苗床となる以外に、腐海を排除しようとする者の排除の役割も持っていた。
|
②巨大粘菌との食い合い 大海嘯(急激な腐海の拡大現象)は巨大粘菌の出現によって始まる。 この巨大粘菌のベースは『キイロタマホコリカビ』。これは飢餓状態になると、他の同種と合体しキノコのような器官を形成したあと胞子を作る。 この『同種』に位置するのが、この作品の場合『王蟲』だ。 つまり、巨大粘菌が大地を蹂躙(ナウシカたち人類の間引き)しつつ、王蟲の大群が粘菌と合体することで、腐海の形成を促進させるという役割を持っている。
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③シェルターの役割 巨大粘菌にナウシカが襲われたとき、王蟲はナウシカを口の中に匿う。 王蟲には何故か都合のいいことに、中に保護した生物を汚染物質から守る漿液(唾液的な何か)を分泌する。これに包まれたナウシカは、巨大粘菌から無事逃れることができた。
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これは先述した『王蟲がシェルターの役割を持っている』ということとも関わってきます。
腐海の蟲は「心穏やかな者は襲わない」 |
これはナウシカの経験からくる持論。 実際、クシャナが蟲の大群に囲まれたとき、死ぬことを受け入れ、子守唄を歌い、心穏やかになった時、蟲はクシャナを襲うことはなかった。 蟲に襲われないというのはそもそも、ナウシカだけの特別なものではないのだ。 |
旧人類の目的は人類の復興と『平和に生きる新人類の創造』。
シュワの墓所…旧人類が作ったバイオ技術のデータベースには『人間を心穏やかな(争わない)生物にする』ためのバイオ技術がありました。
墓所の主(データベースの管理AI的な存在)はナウシカに「交代は緩やかに行われる」と言います。
つまりそれはナウシカたち『闘争心のある人類』と『心穏やかな人類』が同時に存在する期間が必ずあるということです。
そして、腐海によるバイオ・メディエーションが完了するまでは蟲も存在し続けます。
つまり『心穏やかにすれば襲われない』というのは、旧人類が蟲を作った時に組み込んだ『新人類と旧人類を見分ける仕組み』なのです。
王蟲がシェルターの役割を担っているのも、『穏やかな人類』が滅ぼされない為の布石でしょう。
『腐海』または『瘴気』は、『腐海の植物』が汚染物質をろ過する際に排出する副産物の集まりです。
これは、『人間が酸素を吸って二酸化炭素を吐くのと同じ』状態であると考えましょう。
『腐海の植物』たちにとっての
酸素=汚染物質(ナウシカたちにとっての酸素)
で、
二酸化炭素=『瘴気』。
つまり、現実世界の植物とは逆の性質を持っているのが『腐海の植物』です。
現実の植物は排出する酸素が二酸化炭素よりも多い
腐海の植物は排出する二酸化炭素が酸素よりも多い
庭の主
「森の子よ、そなた達は腐海の尽きる地(浄化が完了した地)へいくたびも人を送り込んだはずだ。
しかし誰ひとり戻らなかった。みな血を吐いて死んだからだ。」
「瘴気に肌をさらしながらわずかなマスクだけで平気なのをおかしいと感じなかったのかな?」
先ほど『腐海(瘴気)』の説明をしたイメージ図を思い出してください。
ナウシカたちにとっての酸素は汚染物質です。
旧人類がナウシカたちをそう設計しました。
つまり、汚染物質の無くなった世界というのは、私たちにとっての『酸素の無くなった世界』ということになります。
だからナウシカたちは『綺麗になった世界では生きられない』。
「え、汚い環境で生きれるならキレイな環境でも生きれるんじゃない?」
と思った方へ、もう少し解説します。
残念ながら『キレイ』『汚い』は関係ないんですよね。
見出しにも書いたように、過去『酸素』は生物にとって有毒物質でした。
太古の地球の空気は二酸化炭素が大半を占め、酸素はほんの少ししかない、という今の環境とは逆の状態でした。
しかし、そこに光合成をするバクテリアが誕生したら環境は一変。空気中に酸素(毒)が充満し、これまで二酸化炭素で生きていたほとんどの生物が絶滅してしまいました。
そんな過去を経て、なんやかんや酸素(毒)に適応した生物が私たちです。
つまり、その環境に適応した生物は『汚い』『キレイ』とは関係なく、真逆の環境では生きていけないのです。
海水魚と淡水魚だって、同じ魚類でもそれぞれ逆の環境では生きられません。
腐海の植物が吐き出す『瘴気』はナウシカたちを即死させるだけでなく、少量に晒され続けることにより石化の病を発症し、毒素をため込んだ母体から生まれる子供は毒に耐え切れず死に、出生率もどんどん下がっていっています。
これは偶然でしょうか?
旧人類が作り上げた人類再建のためのデータベース『シュワの墓所』。そこを管理する人工知能の墓所の主はナウシカにこう言います。
墓所の主
「生まれる子はますます少なく、
石化の業病からも逃れられぬ。
お前たちに未来はない。
人類はわたしなしには亡びる。
お前たちはその朝をこえることはできない。」
閉ざされた『シュワの墓所』から出ることができない人工知能・墓所の主が、ここまで現人類の状況を把握しているのは少し不自然です。
穿った見方をしてしまえば、「そうなると分かっている/既にそう予定されている」からこそ、墓所の主はここまで現人類の現状を把握しているとも考えられます。
墓所の主 超意訳バージョン |
「つらいね~?苦しいね~?大変だね~? 私ならその苦しみから解放させてあげられるよ? だから人類再建のための手足になってね❤ (お前らを生き残らせるとは言ってない)」 |
墓所の主のセリフを見ると、旧人類は『新人類』を繁栄させる土台をつくるため、わざとナウシカたち人類が徐々に数を減らしていくように設計したと思えてなりません。
旧人類の視点で考えてみましょう。
墓所製作委員くん
『シュワの墓所』作った旧人類にとって心配だったことは、おそらく「未来の人類との敵対」だったでしょう。何しろ人類再建計画には人の手がどうしても必要でしたので。
わざと過酷な運命を与え「死にたくない」と思わせ、その解決策を提供する…
そうすることで汚染環境に適応した人類を従順な奴隷にした。
と、私は考えてしまいます。
おそらくその可能性は低いのではないでしょうか。
同じく作られた存在である蟲たちは腐海とその外界両方で、マスクなしでも活動可能です。
もしかしたら蟲も腐海の外に出ることで寿命を縮めているかもしれませんが、それでも即死はしません。
即死をしてしまったら『腐海の苗床になる』という役割を全う出来ませんので、ある程度動けて、ある程度で死ぬようになっているのでしょう。
そういう遺伝子に対して細かい設定ができる技術があった旧人類が、ナウシカたちを腐海にほとんど適応させなかったのは、やはりわざとやっていると考えてしまいます。
『瘴気』『巨大粘菌』『大海嘯(急激な腐海の拡大現象)』、今生きている人類を大量に殺した現象は全て旧人類の仕組んだシナリオです。
結局、旧人類にとって、ナウシカたち人類は、新人類に至る人類ではなく、バイオ・メディエーションの一部に過ぎなかったのです。
『シュワの墓所』は、旧人類が人類再建のために作り出したデータベース。
中にはバイオ技術に関した様々な情報が保管されており、組み込まれた管理AI(墓所の主)によって少しずつ人類にその情報を読み取らせています。
『シュワの墓所』というのは、腐海によるバイオ・メディエーションによって人類が全滅しないよう、世界が浄化されたさいに「新たな環境で生きる人類」を人工的に生み出させるための装置なのです。
『シュワの墓所』と土鬼諸侯国の関係は、簡単に言えば『墓』と『墓守』です。
『シュワの墓所』は所詮データベースでしかなく、その中にある情報を活用するためには人間が必要になります。
土鬼諸侯国は、『シュワの墓所』内の情報から得た技術(不老技術・培養技術など)を受け取る代わりに、『シュワの墓所』の役割を遂行するためのサポートをして(させられて)いる…。
つまり、土鬼諸侯国が辿る道筋は何もかも『シュワの墓所』のAIが作った道筋通り。旧人類のシナリオ通りなのです。
巨大粘菌を作ることになったのも
それが意図しない形でばらまかれるのも
大海嘯によって現人類が間引かれることも
「神さまの言うとおり」にしかならないというのが、強国・土鬼諸侯国の姿だったのです。
嫌いになれない神聖皇帝・ナムリス
|
「利用したはずの神に、お前のようにしばられもせん。」 「俺はもう生き飽きた。何をやっても墓所の主のいうとおりにしかならん。」
物語の敵役、土鬼諸侯国連合帝国・神聖皇帝(皇兄)ナムリス。 残酷な快楽主義者であり、自身が楽しむために戦争をする彼は部下や民衆からも嫌われ者。弟・ミラルパとは対照的な存在だった。
でもどうしてか、そんな彼を嫌いになれない。
彼の根底にあったのは、生まれや運命、他人の指図で決められた未来を歩くのではなく、ただ『自分らしく生きたい』という願い。 結局それは、旧人類が作った神を否定し『シュワの墓所』を破壊したナウシカと同じ考えだった。
敵役として登場し、事実その行いはナウシカたちにとって悪であったけど、根底にあった願いは同じというのが、なんともむなしくく、嫌いになれない…。 |
『風の谷のナウシカ』最終巻で行われる、墓所の主とナウシカの問答はこの作品の山場でしょう。
ナウシカ
「何故真実を語らない!
汚染した大地と生物を取り替える計画なのだと!
お前は亡ぼす予定の者たちをあくまであざむくつもりか!
(中略)
私たちの身体が人工で作り変えられていても、
私たちの生命は私たちのものだ!
生命は生命の力で生きている!
その朝が来るなら、
私たちはその朝に向かって生きよう!
私たちは血を吐きつつ繰り返し繰り返しその朝をこえて飛ぶ鳥だ!
生きることは変わることだ!
王蟲も粘菌も草木も人間も変わっていくだろう。
腐海も共に生きるだろう。
だが、お前は変われない。
組み込まれた予定があるだけだ。
死を否定しているから…。」
(中略)
墓所の主
「お前にはみだらな闇のにおいがする。
娘よ、お前は再生への努力を放棄して人類を亡びるにまかせるというのか?」
ナウシカ
「その問いはこっけいだ。
私たちは腐海と共に生きてきたのだ。
亡びは、私たちのくらしの、すでに一部になっている。」
墓所の主
「種としての人間について言っているのだ。
生まれる子はますます少なく、
石化の業病からも逃れられぬ。
お前たちに未来はない。
人類はわたしなしには亡びる。
お前たちはその朝をこえることはできない。」
ナウシカ
「それはこの星が決めること…。」
墓所の主
「虚無だ!それは虚無だ!」
ナウシカ
「王蟲のいたわりと友愛は虚無の深淵から生まれた!」
墓所の主
「お前は危険な闇だ。生命は光だ!」
ナウシカ
「ちがう!いのちは闇の中のまたたく光だ!」
この項目では私の個人的見解が多分に含まれるので、「そんな見方もあるな」くらいに読んでもらえればと思います。
ナウシカの主張を分かりやすく現代語訳(意訳)すると大体こんな感じです。
※個人的解釈に基づく
「あんたを作った人間が戦争と環境破壊を後悔したってのは理解。でも『闘争心の無い生物』を作るのはマジで理解不能。」 「人間の事なんも分かってないじゃん。『争う』って悪い面だけじゃないのよ。競い合うことで、人って発展してきたし、そこに喜びもあったんやで。」 「あんたスポーツの楽しさって分かるか?順位のつかないスポーツなんて、見るのもやるのも面白くないでしょ。」 「自我は持ってても所詮作り物。時代に乗り遅れた化石が、私ら生きてる人間に口出ししないでもらえる?」 「いや、マジで余計なお世話。」 |
そして〆はこう
ナウシカ「違う!いのちは闇の中のまたたく光だ!」 訳:「人間を善悪で分けられると思ってんじゃねーよバーカ!」 |
あの場面は凄く詩的なセリフが飛び交ってましたが、結局ナウシカが『シュワの墓所』を破壊した理由を超簡潔に言えば
「あんたらの作る未来じゃ幸せになれないからイヤ!」
ってことですね。
たとえ滅びへつながる道でも、自分で選んだからこそ価値がある。
旧人類が作り出した未来ではなく、ナウシカたちだけの白紙の未来を歩むことこそ彼女にとってハッピーエンドでした。
この結末を
「破滅への始まりだ」
「ナウシカは人類の滅亡を選んだ」
「バッドエンド」
という意見もあります。
まぁ確かに、ナウシカにとっての納得いく選択であっても、それが人類の総意というわけではありませんから、その意見はもっともです。
でもこの結末を『バッドエンド』とただ切り捨てられない、とも思ってしまいます。
ナウシカと森の人以外、この世界の真実なんて知りません。
ナウシカと森の人は人類に真実を話さないことを選びました。
現実と同じように、自然の脅威は人類の隣にたたずみ、そしてきっと、その中でナウシカたちはこれからも『人らしく』足掻きます。
旧人類の手から飛び立ち、ナウシカたちが最期の時まで『人らしく』あれること。
その点だけは、人類にとってハッピーエンドと言ってもいいのではないでしょうか。
その後、ナウシカは土鬼の地にとどまり、土鬼の人々と共に生きた。彼女はチククの成人後はじめて風の谷に帰ったとある年代記は記している。
またある伝承は、彼女がやがて森の人の元へ去ったとも伝えられている。
帰還したクシャナは、やがてトルメキア中興の祖として称えられるにいたるが、生涯代王にとどまり決して王位につかなかった。以来トルメキアは王を持たぬ国になったという…
エンディング後、ナウシカが伝承でしか知られなくなったり、クシャナが「祖」と言われるくらいには、人類は続いていくようですね。
エンディング後の未来については全てただの妄想にしかなりませんが、確実に言えるのは、『腐海』に殺される前に大半の人間が死ぬ、ということです。
今私たちが平穏に生きているのは、戦争は色んな意味で「痛い」と理解しているからです。
たくさん血を流す事の末路を知っているから、なるべく平和に生きようとしています。
そしてその記憶が薄れたころに、また戦争は起こります。
ヨーロッパは中世から近代にかけてたくさん血を流しました。だから
ヨーロッパくん 「戦争良くないね。今度からEUとして、みんなでがんばろ!」 |
となったわけです。
しかし、近年また戦争のニュースを良く聞きます。
文明が発達して、ある程度平和なこの世界でもこうなのです。
だからナウシカの世界ではもっと簡単に人間は殺し合います。
ローマ! 「汝平和を欲さば戦への備えをせよ」 |
ヨーロッパがEUとなり平和を維持しようとするまでに約1000年かかりました。
ナウシカの世界は、まだそれほど(人間同士の争いで)多くの血を流していません。
これから『腐海』が広がり、生活圏が圧迫されていく度、自分たちの平和を守るためにたくさんの血が流れます。彼らの平和は、流血の先にしかありません。
『腐海』に殺されるのが先か。
人間に殺されるのが先か。
『腐海』の先の環境に適応する方法を見つけるのが先か。
ナウシカの世界は時間との闘いとなるでしょう。
※個人の妄想・考察
色々な文化が停滞した『究極の自己中心的世界』が出来上がるのではないでしょうか。
『争わない』ということは『他人と比べない』ということ。
『争わない』ということは『踏み込んだコミュニケーションを取らない』ということ。
作中では墓所の主が
「人間にとってもっとも大切なものは音楽と詩になろう」
と言っていますが、それだって他人と競い合わなければ良い作品は生まれません。
他人との交わりがなければ多様性は生まれません。
幸せというのは、他人と競い合い、他人と関わることで生まれる相対的な感情です。
●幸せホルモン「オキシトシン」 「愛情ホルモン」「恋愛ホルモン」とも呼ばれるオキシトシンは、他者との接触によって分泌が促されます。 親子関係や恋人関係に関わらず、他者(または自分)から「優しく接する」ことで脳内ドーパミンが分泌され、オキシトシンの分泌を促し、幸福感を感じているという研究結果があります。 つまり、私たちの体は、他者と関わることで幸せを感じるように設計されているのです。 |
人と比べることなく、
向上心もなく、
衝突を恐れ無難なコミュニケーションのみしか取らず、
怠惰となった人間は、常にくすぶるような不満を抱え、それでもきっと自分を変えようとはしません。
『自分が平穏ならそれでいい』
『他人と関わって衝突するのが怖い』
『争いが起こらないように人と関わりたくない』
自分の心の平穏を守るための『究極の自己中心的世界』。
それが旧人類の作り出す未来の末路となるのではないでしょうか。
巨神兵
「風の谷のナウシカの子 オーマ!
オーマは光臨を帯びし調停者にして戦士なり」
ペジテによって地下から掘り起こされた巨神兵。のちにナウシカによって『オーマ』と名付けられたこの巨神兵はただの虐殺兵器ではなかったようです。
ナウシカが名前を与えた途端、いままで幼げだった巨神兵は上記のセリフを言います。
本来であれば「調停者」と名乗る通り、誰の味方もしない平等な存在として作られたのでしょう。
しかし、本来巨神兵の核となるはずの『秘石』をナウシカが所持していたせいで、この巨神兵オーマは調停者としてではなく、ナウシカの味方として活動します。
『シュワの墓所』と『巨神兵』は同じ旧世界の遺産ですが、この二つは別陣営の存在です。
墓所の主
「やめろ闇の子(ナウシカ)!世界を亡ぼした怪物を呼びさますのはやめろ!」
ナウシカが巨神兵オーマに「墓所を焼き払え!」と命令した時の墓所の命乞いが、上記のセリフです。
そもそも巨神兵が作られた動機は、『調停者』というセリフから察するに「これ以上人間同士で争わないための抑止力を作ろう」というものでしょう。
つまり現実世界の核兵器みたいなものですね。「お互い痛い目見たくなかったら戦争は止めようね」、ということです。
しかし、核兵器と違い、巨神兵は自ら思考しその役割を全うします。
ちょっとでも人類が争ったと思えば喧嘩両成敗ビームが飛んできます。
作中で巨神兵は人間の心を読んでいるような場面があります。
オーマ
「母さんに触れるな、離れなさい。」
戦艦の外を跳んでいるはずの巨神兵は、中の様子を完全に把握していました。
もしかしたら、巨神兵が作られてからの世界は、巨神兵の恐怖よって管理されるディストピア的世界になっていたかもしれませんね。
何かが原因で巨神兵は人類の手を離れ、人類を滅ぼしてしまったのしょう。
墓所の主はそんな失敗を経て作られた『人類存続のための存在』。
墓所がどの段階で作られたかは分かりませんが、確実に言えるのは『火の七日間』という失敗を経て作られた存在である、ということ。
だから墓所の主は巨神兵を「怪物」と呼びます。
同じ過ちを繰り返さないため、墓所の主の思考は『人類が生き残ること』に重きを置くように設計されています。
炎の中に並ぶ巨神兵の姿は、人類を壊滅状態に追い込んだ『火の七日間』の様子です。
巨神兵の制作意図は、戦争の抑止力。
つまり、あのまるで悪魔か何かのように描かれていた巨神兵の姿も
「戦争なんてやめなよ!人類平等ビーム!」
していたという事でしょうか。
巨神兵が人類を滅ぼすレベルの大規模戦争が行われていた…そう結論付けるには少し疑問が残ります。
というのも、旧人類は『戦争すれば殺される』と分かっていながら、人類が(ほぼ)2つの勢力に分かれて大規模戦争をしていたことになるからです。
戦争の抑止力は『認知されなければ意味がない』。
だから巨神兵が作られたことを「知らなかった」なんてことはあり得ません。
そう考えると、旧人類は『戦争“は”しなかった』と考えられます。
そして巨神兵には高度な知能が備わっており、読心術または透視能力のようなものをもっていることが作中で描写されています。
もしかしたら『火の七日間』というのは、巨神兵が「旧人類そのものが争いの元」として排除した結果なのかもしれません。
巨神兵くん(イメージ) 「人間いなきゃ戦争起きないよね。はい皆殺し。これで万事解決だね!いや~いい仕事したな。」 |
多くの魅力が詰まった『風の谷のナウシカ』。
『腐海』という自然の脅威にさらされる世界で足掻くナウシカたち姿にはどんなメッセージがあるのでしょうか。
私の個人的な見解ですので、読んでそれぞれ「それは違うだろ」と思う部分もあるかと思いますが、これも一つの見方として読んでいただければと思います。
「環境問題」は大筋のテーマとしてあることは見て分かる通りです。
でもこの物語は「自然を大事にしようね」なんていうなまっちょろい話だけではありません。
『仕組まれた滅び』
『造られた環境』
『旧人類の負債』
旧人類の作り上げた見えない折の中で、人類再建のために飼われていたにすぎない人工人類がナウシカたちです。
人類復興計画の中枢である『墓所の主』は
「今の環境に生きる人類を、清浄な世界でも生きれるようにするぞ」
と、ナウシカたちに語り掛けていましたが、実際はそんな技術はないでしょう。でなければ、墓所内に新人類の卵は存在しません。
※『新人類の卵』 墓所内にあった、透明な丸い入れ物に入った人間。 新世界に生きるための新しい人類として作られたのか、それとも旧人類のコールドスリープなのか。真相は謎なまま巨神兵によって破壊される。 |
というか、そんなことができるなら自分たち(旧人類)を汚染環境に適応させろよ、という話しなんですよ。
それをしなかったということは『今生きている人間の遺伝子を変化させることは出来ない』ということでしょう。
救いなどどこにもない行き止まりの世界で、何を選び取るのか。
『人が生きるとは』という問題を、作中ではなんども突き付けてきます。
ナウシカは優しいですよね。
生まれ、国、種族で差別せず、争いを好まず、対話での和平を望む。
ハッキリ言ってナウシカの言動は綺麗事です。
全員に優しくするなんてことはできないし、平等な愛なんてものは無関心と変わりません。
しかし、クシャナに忠告され、厳しい現実を見て、自分の手を血で汚してもなお、ナウシカは綺麗事を貫きました。
いえ、彼女を信じて散っていた命のためにも、彼女は彼女の願いを貫かなくてはいけなくなりました。
だから多くの人に優しくすることを諦めることは、もう出来なかったのです。
その『優しさ』は、物語の後半でナウシカにどんどん返ってきます。
それは、ナウシカが手繰り寄せた因果応報。
ナウシカに親切にしてもらった人たちが、今度はその親切をナウシカに返そうと動く。
そうしたナウシカの『善意』で繋がった他人が協力し合い、困難に陥るナウシカの助けとなっていました。
個人的にナウシカの優しさというのは『平和に話し合って分かり合おうね』というお綺麗なメッセージではなく
「優しさを持たない自己中心的な奴には誰も付いてこねーぞ」
というメッセージなのかなと思います。
戦争を嫌った旧人類が、未来を搾取し、争いにつながるという皮肉。
笑ってしまうのが、この物語で起こっている戦争の原因全てが『シュワの墓所』であるという点です。
トルメキア王国のヴ王は、土鬼の持つ不老不死の技術を欲し、戦争を起こしました。
そして、旧人類のシナリオ通り、『巨大粘菌』の技術を得た土鬼は、その戦争で『巨大粘菌』を投入し、結果多くの自国民を死なせることになります。
旧人類にとってこの戦争は、争いの無い世界をつくるための最後の犠牲程度にしか思っていなかったのでしょう。
争いのない世界のためにわざと戦争を引き起こし、ナウシカたち人類の未来を搾取するとは…何とも身勝手なものです。
『巨神兵』を作り、戦争を操作しようとして自滅。
『シュワの墓所』を作り、ナウシカたち人類を操作しようとして自滅。
何もかも思い通りに操作しようとした結果が、全て『自滅』という形で返ってくるのは、ここも因果応報といった感じですね。
結局、どんなに科学が発展しようとも、自然や人間・生き物を操作しようとしても、完璧に思い通りになるはずもないのです。
トルメキア兵「手綱を取れナウシカ殿!走れ!走るんだ!」
土鬼僧侶「なんという奴だ!兵を盾に逃げるとは。」
ナウシカ(生き延びるんだ…!ここで死んではだめだ…!)
ナウシカを土鬼の重囲から逃がすため盾となり散って逝った4人のトルメキア兵たち。
4人の命を犠牲に生き残ったナウシカは、その後会敵する土鬼兵を切り殺します。
清廉潔白であろうと、争い血を流すのは愚かだと、そう思っていたナウシカが、戦争に巻き込まれ、自身を逃がすために盾となり命を散らしたトルメキア兵を見て「生きねば…!」と駆り立てられ、ついに自分が生き残るために人を殺す。
この場面は、きっとナウシカの中の一つのターニングポイントでしょう。
ナウシカのキャラは、下手をすれば『チープな愛され主人公』になってしまうような設定です。
綺麗事を述べ、差別せず、国や生まれで人を判断しない。どんな人にも優しさをもって接するナウシカ。
それを鬱陶しいと感じないのは偏に、それを許さない過酷な状況と、彼女の危うい考えを受け止めつつ忠告したクシャナの存在が大きいでしょう。
『優しさ』というのは、自分が満たされた状態でなければ他人に与えることはとても難しいものです。(自分が苦しいときに他人に優しくしろと言いたいわけではない)
この過酷な状況、争いの絶えない環境で、最後まで『他人を思いやる』ということを止めなかったナウシカは、おそらくこの物語中一番のイカレ野郎で、死に急ぎ野郎に違いありません。
自分を第一に考えない奴はバカだ。どこか頭のネジが抜け落ちてるに違いない。
でも、あの過酷な環境では、そんなバカだったからこそ周りの人たちはナウシカを助け、その命を時に散らし、困難に陥るナウシカを助け、絶望にうずくまるナウシカの腕を引っ張り上げたのです。
最後まで戦え、歩み続けろ。その先にはきっと意味がある、いや意味がないといけない。
と、『期待』という、ある種残酷な優しさで彼女の背中を押します。
彼女本来の優しさと、現実との葛藤・苦しみ。そして人を殺し、すべてを飲みこんだナウシカの最初の想い(綺麗事)を貫く姿勢。
この王道ともいえるナウシカの芯の強さは、物語の魅力の一つと言えるでしょう。
漫画を読み進めれば分かる、クシャナの優しさ。
それはナウシカとは方向性が違い、誰にでも振る舞う優しさではありません。
普通の人が普通に持つ「自分の大事なものを大切にする」という優しさです。
クシャナにとって、ただ争いを嫌い、戦に参加しながらも自分の手を汚そうとしなかったナウシカの存在は、苛立ちと同時に憧れもしたでしょう。
彼女がナウシカを自分のそばに置いたのは、ナウシカの綺麗事がどこまで折れずに続けられるか、という少しの嫌がらせも含まれていたかもしれません。
でも誰だって苦しいのはイヤだし、厳しくされるよりは優しくされた方が嬉しいし、できれば優しく穏やかでありたいと思うものです。
クシャナにとってナウシカは、綺麗事ばかり言う現実を見ないムカつく奴であると同時に、「こうありたい」と願う自分自身だったのかもしれません。
そして、ナウシカが戦場に立ち、人を殺し、クシャナと同じラインに立った時。
それでも折れなかった彼女の『綺麗事』に、クシャナも少しずつ影響を受けていきます。
ナウシカとクシャナは始まりが違えども、お互いがお互いに影響し合い、2人とも清濁併せ吞む『優しい主人公』となっていきます。 綺麗事だけでも、現実的だけでもない。 物語が進むにつれて二つが交わっていき、残酷な世界で、それでも『綺麗事を通したい』と思ったこの二人の存在が、私にはこの作品の一番の魅力と感じました。 |
現代の『鬱』という病気が、昔はなかったといいます。
それが事実なのか、ただ名称がなかっただけなのかはわかりません。
『鬱』がなかったと言われる要因の一つに「どうしようもない脅威を受け入れる心」があったという説があります。
地震の脅威
台風の脅威
干ばつ、豪雨の脅威
そんなどうしようもない世界の脅威を、昔の人々は「そういうもの」として受け入れ、ただ耐え忍び、身を任せていた。
科学が発展し、人間は自然界の脅威からある程度身を守れるようになると、「受け入れる」よりも「操作しよう」と思うようになります。
私たちの中で自然の脅威はもう脅威ではなく、人間が操作(対応)できるものという認識になりました。
今の時代はお金があれば何でも手に入るし、大体の欲望は満たされる。
その傲慢さが、現代の人から「受け入れる心」を無くし、思い通りに行かない現実に心が病む…。
ナウシカの「人類は腐海と共に生きてきた。そしてそれはこれからも変わらない。」という主張は、そんな自然に対して傲慢になってしまった私たちにとても刺さる言葉ですね。