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「天気の子」ネタバレ考察!物語で抱く違和感が核心部分につながる!?

クマミ

更新日:2021-9-8

<プロモーション>

記録的ヒット作となった「君の名は。」を手がけた新海誠監督による「天気の子」。

「君の名は。」同様に主題歌をRADWIMPSが手がけるなど話題となりました。

 

しかし、評判を見てみると賛否両論が多く物議が交わされています。

 

「結末がよくわからない」

「ストーリーがひどい」

「意味深なシーンがあったけど、結局なんだったの?」

 

などなど。

そこで今回は「天気の子」のストーリーをネタバレ解説!

結末に納得がいかなかった人や、物語が理解できなかった人に向けて徹底考察していきます!

RADWIMPSの劇中歌を聴きながら読んでみてください!

 

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映画「天気の子」概要

 

 

映画「天気の子」概要

タイトル:天気の子
 

日本公開:2019年7月19日
 

制作会社:コミックス・ウェーブ・フィルム
 

配給会社:東宝

 

「天気の子」は2019年に公開されたアニメ映画。

「秒速5センチメートル」「言の葉の庭」「君の名は。」など思春期の言い表せない感情を美麗なタッチで描いてきた新海誠監督による作品です。

 

「天気の子」の日本興行収入は140億円を超え、2019年の興行収入ランキングでは1位を獲得した大ヒット作品となりました。

 

【ネタバレなし】天気の子の簡単なあらすじ

 

メインビジュアル

 

映画「天気の子」簡易あらすじ

神津島で暮らしていた高校一年生の森嶋帆高は、家出を決めフェリーで東京にやってきた。

身寄りがなく高校生の帆高は、フェリーで知り合った須賀啓介と連絡をとり彼が経営する小さな編集プロダクションで住み込みのお手伝いを始める。
 

関東の夏は、異常気象で毎日雨の天気が続いていた。

そんな中は帆高は祈ることで晴天を生むことができる「晴れ女」天野陽菜と出会う。

帆高と陽菜は打ち解けていくが「晴れ女」にはある宿命があった…。

 

天気の子は、高校生の主人公帆高が家出をして東京で生活をしていく物語。

その中で「晴れ女」と呼ばれ天気を100%晴天にすることができる少女陽菜とのストーリーが主軸で展開されていきます。

 

高校生主人公が家出をして大都会の荒波に揉まれるというのは、前作「君の名は。」と違いかなり挑戦的。

加えて須賀という人物に焦点が当たることや、雨が降りやまない世界設定など様々な要素が含まれた一風変わったボーイミーツガールものとなっています。

 

 

 

天気の子スタッフ・キャスト

 

映画「天気の子」スタッフ・キャスト

【監督・脚本】新海誠
 

【音楽】RADWIMPS
 

【キャスト】

森嶋帆高:醍醐虎汰朗

天野陽菜:森七菜

天野凪:吉柳咲良

須賀圭介:小栗旬

須賀夏美:本田翼

 

「天気の子」はクオリティの高いアニメ映画作品を多く生み出してきた新海誠監督が脚本も担当しています。

「君の名は。」で一躍有名になり、かなりネームバリューのある作家となったのではないでしょうか。

 

新海誠監督の作品は、美麗で繊細なタッチで描かれた風景の映像がいくつも登場し、鑑賞者に感情を引き出させる点が特徴的です。

 

登場人物に命を吹き込んだキャスト陣は、どのキャラクターも有名俳優が起用されています。

 

舞台「弱虫ペダル」で主人公の小野田坂道を演じた醍醐虎汰朗さんが主人公の帆高に抜擢。

 

 

ヒロインの陽菜は女優の森七菜さん。岩井俊二監督作「ラストレター」にて第44回日本アカデミー賞新人女優賞を受賞した若手実力派です。

 

 

帆高と陽菜のメインキャラを演じた二人はいずれも「天気の子」で声優アワード新人賞を受賞しており、普段は俳優業を生業としている二人ですが高い評価を受けました。

 

 

帆高の東京での暮らしにかかわる須賀家のキャラクターには小栗旬さんと本田翼さん、陽菜の弟凪役には、吉柳咲良さんが抜擢。

脇役も今のエンタメ業界を最前線で走る人たちが演じているのが豪華です!

 

 

 

【賛否両論】評価の分かれる「天気の子」Twitterでの評判や口コミ

 

2019年の日本映画興行収入ランキング1位の天気の子ですが、鑑賞した方からは賛否両論が巻き起こっています。

 

 

 

絶賛する意見もあれば、納得がいかない!という批判的な意見も。

 

 

筆者が見て感じたのは、絶賛と批判的意見どちらにもに共感できることでした。

唐突な展開やストーリーに違和感があるなぁ…

という部分を自分なりに考察してみましたので、同じようにモヤっと感じた方はぜひ考察を読んでみてください!

 

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【ネタバレあり】天気の子あらすじ紹介

 

ここからは、映画「天気の子」のストーリーをネタバレありで紹介していきます。

鑑賞済みの方も考察を読む前に、話を振り返ってみましょう!

 

ここから先はネタバレありの内容と考察部分になります。

まだ未見の方はご注意ください!

 

↓※ネタバレ注意※↓※ネタバレ注意※↓※ネタバレ注意※↓

 

起.「自由」を求めた帆高は東京で暮らし始める

 

東京の雨に打たれて微笑む帆高

 

森嶋帆高は神津島に住む高校一年生。

家出を決めた帆高は、一人フェリーに乗り東京へ向かっていた。

フェリー上で突如激しい雨に打たれた帆高は、足を滑らせ落下しそうになるところを同乗していた男、須賀圭介に助けられる。

 

上陸した夏の東京は、異常気象で毎日雨が降り続いていた。

高校生でバイトにも雇ってもらえない帆高は、少ない所持金を切り崩しながら過ごす毎日。

ある日、帆高は雑居ビルのゴミ箱に入っていた銃を見つけてしまう。

本物かどうかわからない帆高だが、これをお守りとして持ち歩くことにした。

 

フェリーで助けられた須賀とコンタクトをとった帆高は、須賀が経営する小さなプロダクション会社で働き始める。

現実味のないオカルトな記事を作成している須賀の会社では、連日続く雨を100%晴天にすることができる「晴れ女」と呼ばれる都市伝説を調査することに。

 

決定的な証拠をつかめない毎日を繰り返していた帆高は、たまたま銃を見つけた通りで男に連れられている少女を見かける。

須賀のもとで働く前に何度か見かけていた少女だったことに気づいた帆高は、とっさに少女の手を引き連れ出してしまう。

 

追われる帆高は、男に銃を向け威嚇するが誤って引き金を引くと弾丸が発射された。

その銃は本物であった。

命中はしなかったものの男は恐れおののき、帆高たちは逃げ延びることに成功する。

 

少女の名前は、天野陽菜。

逃げた先の廃ビルでそれまで雨だった帆高のいる一帯に太陽の光が差した。

彼女こそ祈ることで天気を晴天にすることができる「晴れ女」であった。

 

承.「晴れ女」として活動し始める陽菜たち

バイトをクビになってしまったと話す陽菜は、去年に母親を亡くし弟の凪と二人で生活していた。

お金に困っている陽菜に帆高は、「晴れ女」というサイトを作り依頼を受けた先を晴れにして報酬をもらうという仕事を始める。

 

陽菜が祈ると必ずその周辺一帯は、一時的に晴れになった。

 

毎日雨の関東で「晴れ女」の評判は瞬く間に拡散され、結婚式の日を晴れにしたい、コミケのコスプレ撮影、競馬の馬の調子のため…様々な理由で晴れを必要としている人たちの依頼が殺到。

 

無事に子供たちでも生活できる収入を得ていたが、大きな花火大会イベントを行うために晴天を作り出した陽菜たちはテレビで大々的に取り上げられてしまい、サイトが一時的にシャットダウンしてしまう。

 

それに加え、陽菜は度重なる祈りによって疲弊しているように見えた。

そう感じた帆高は残り数件の予約依頼をこなしてしばらく休業することを決める。

 

最後の依頼は、須賀が娘の萌花と公園で会うための依頼であった。

何年か前に母親を亡くした萌花は、現在祖母のもとで育てられている。

喘息持ちの萌花は雨の日に弱くなかなか会えない須賀が、「晴れ女」をお願いしていた。

 

「晴れ女」の記事の取材で情報を集めていた須田の姪・夏美はそこで陽菜と出会い、「晴れ女」にまつわる言い伝えを彼女に話しだす…。

 

転.「天気の巫女」の宿命

 

祈ることで晴天を生む陽菜

 

須田と別れ帆高は陽菜を家に送り届ける最中、突風が吹き荒れたと思うと陽菜は宙を舞い帆高の頭上をゆっくりと降下していた。

 

慌てる帆高に陽菜は自身が「晴れ女」になってしまった経緯を話す。

母親が死ぬ直前、帆高と出会った廃ビルの屋上にある小さな鳥居で祈った陽菜は天気とつながりを持ち晴れを生み出すことができるようになったと言う。

 

帆高があっけにとられていると玄関のインターフォンが鳴る。

陽菜が出るとそこには警察がいた。

家出をした帆高を探している警察に陽菜は知らないと彼をかばう。

それに加えて、子供だけで生活している陽菜と凪についても警察はこのままではいけないと話す。

 

これ以上子供たちだけで生活できないと限界を感じた陽菜は、私物の整理をはじめ今の生活に終止符をうとうとしていた。

警察は須田のもとにも来ており、誘拐事件として疑われていることを感じた須田は帆高にここを出て行ってくれと頼みこむ。

 

行き場を失った帆高は、再び陽菜の元に行き凪と三人で逃亡することを提案する。

関東の天気は、ひどく荒れこみ雪が降り始めていた。

 

未成年であるが故に、何件も宿をたらいまわしにされた帆高たちは途中警察に見つかりながらも逃げ切りようやく都内のラブホテルを借りることに成功。

誕生日の近かった陽菜のためにプレゼントを買っていた帆高は、そこで陽菜に指輪をプレゼントする。

 

プレゼントに喜ぶ陽菜であったが、陽菜は昼間に夏美から聞かされた「晴れ女」にまつわる言い伝えを話し出す。

「晴れ女」は「天気の巫女」と呼ばれ、荒れ狂った天気を元に戻す人柱として犠牲になる運命にあるのだという。

 

驚愕する帆高に陽菜は自分の体を見せる。

祈ることで晴天を生み出していた陽菜はその代償で体が、透明に透け始めていた。

 

結.「銃」を手に取り「変わった世界」で「生きる」こと

 

ラストシーンで向き合う帆高と陽菜

 

翌朝、東京に来る前の島でひたすら光を求めて走り続ける夢を見た帆高が目覚めると陽菜が消えていた。

昨日の荒れ狂っていた天気は晴れ渡り、続いていた悪天候が嘘のようだった。

 

陽菜が言っていたことが本当だったことを知り悲しみに明け暮れる帆高に、情報を嗅ぎつけた警察が部屋に侵入。

帆高と凪は身柄を拘束されてしまう。

 

警察は同時に陽菜の行方を探すが、帆高の突拍子もない真実は信じてもらえない。

取り調べの隙を狙って逃げ出した帆高は、陽菜の言っていた廃ビルの屋上にある鳥居を目指して走り出した。

 

夏美に逃走の手助けをしてもらった帆高は、昨日の大雨で浸水した街を走り廃ビルまで到達するが屋上までの道のりで騒ぎを聞きつけた須賀と再会。

帆高をなだめる須賀とそれでも空にいる陽菜を助けたい帆高に警察が駆け付ける。

帆高は陽菜と出会ったときに捨てていた拳銃を握りしめ、発砲する。

 

本気で確保する気になった警察は帆高を捉えるが、すんでのところで須賀が帆高の意思を尊重して警察官を妨害。

警察の目を盗んで同じく廃ビルに到着した凪が加勢し、帆高は屋上の鳥居に到着する。

 

もう一度、陽菜に会いたいー。

そう思いながら鳥居をくぐった帆高は、空の上にいた。

上空で陽菜を見つけた帆高は、陽菜の手を握りしめ地上に落下する。

 

警察に取り押さえられていた須賀が上空を見上げていると、またも大雨が降り出した。

 

帆高が陽菜を救ってから三年が経過。

関東の降りやまない雨は続いており、東京の街の大半は水没している。

 

実家に戻され3年間の高校生活を終えた帆高は東京に向かった。

3年前に「晴れ女」の依頼を受けていた冨美さんや須田のもとに向かった帆高はそこで、変わってしまった東京の生活を知らされる。

陽菜を助けてしまったことによる惨状を聞いた帆高が歩いていると、目の前に晴れ女の能力を失った陽菜が空に向かって祈っている姿を見つけた。

 

涙があふれた帆高は走り出して陽菜を抱きしめた後こう言った。

「僕たちはきっと、大丈夫だ」
 

 

 

「大丈夫だ」結末に込められたメッセージを5つの違和感から考察

 

結末部分で陽菜と再会した帆高は、「大丈夫だ」と言いますがこの部分で腑に落ちなかった人も多いのではないでしょうか。

 

陽菜は関東で降り続ける雨を止める人柱「天気の巫女」でしたが、帆高がそれを救ってしまったことによって雨は降りやまずに世界を変えてしまいました。

 

二人は再会することができましたが、綺麗なハッピーエンドとは言いづらいラスト。

 

この部分に着目して、「大丈夫だ」に込められた意味を物語の構造や人物に焦点を当てて深堀していきたいと思います。

 

なぜ「銃」が登場するのか?帆高の選択は映画「ジョーカー」にも通じる

 

驚いている帆高

 

筆者自身が作中で一番感じた違和感は、帆高が銃を持つということでした。

 

「意外と物騒な話なのね!?」

 

と少し作品の世界観に困ったところでありましたが、帆高が銃を持つというシーンはかなり重要な局面で出てきます。

これは、帆高の世界に抗う強大な「力」を象徴しているのではないでしょうか。

 

帆高が「銃」を持ち歩いていた理由は「お守り」ではなく「反抗」

 

まず注目したいのは何故帆高が銃を手にしたとき捨てずに持ち歩いていたのか。

帆高は陽菜に銃を持っている説明をする際、「お守り代わりに持っていた」と説明していますがこれは恐らく「お守り」というよりも「反抗」であったように感じます。

 

通常ならまだ学生の帆高が東京にたどり着き、個室ビデオ店で過ごす際に手元においてあった本はサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」でした。

この小説は、高校生の主人公が大人や社会に対する憤りを拒否して本当の幸せと生き方は何かを模索していく物語です。

 

帆高もこの小説に影響を受けて家出を決行したことが示唆されているため、ただ嫌な生活から逃げてきたわけではないのでしょう。

そういった意味では帆高にとって銃とは「お守り」という優しい言葉ではなく、社会に投げかけたい強い「反抗」であり、体現する「力」という側面を持ち合わせているアイテムではないでしょうか。

 

銃

 

帆高が銃を使用する共通点と相違点

 

次に注目したいのは帆高が銃を行使する際の二つの場面。

 

一度目は、実銃と知らずに陽菜をスカウトしようとしていた人への暴発。

二度目は、実銃と知った上で陽菜と会うために須賀を退けるために発砲。

 

この二つの場面では、共通点と相違点があります。

 

共通点はどちらも陽菜を助けようとしている点。

陽菜が必要としているしていないにもかかわらず、自分が陽菜を助けたいというエゴ的な観点で銃の引き金を引いています。

 

相違点は実銃と知っているかそうではないのか。

 

二度目のシーンでは、既に帆高はそれが本物だと知った上で須賀に銃口を突きつけています。

この状態は帆高自らの「力」を自覚して「覚悟」を纏った状態なのではないでしょうか。

 

そう考えると、大人や社会に「反抗」していた帆高は「銃」という「力」を身に着けて「世界」を変えることができるようになった人物です。

帆高が、陽菜を助けることを一心に決意した描写であるといえるでしょう。

 

「大丈夫だ」は帆高が世界で生きる決意

 

しかし、陽菜と再会したいという帆高の願いは同時に多くの人々から晴天を奪うという行為でもあります。

 

このことから帆高は三年が経過しても世界を変えてしまったことに悩んでしまっていましたが、陽菜と再会した際に自分が世界を変えたことを改めて再認識し、その代償として手に入れた自らの願いを背負って生きていくことを核心したのではないでしょうか。

 

帆高の「大丈夫だ」には、自分が世界を変えてしまったことの重要性とそれでも陽菜と生きていくことを手に入れられた素晴らしさを嚙みしめたセリフに感じます。

 

作風はかなり違いますが「銃」という「力」を持って「世界」を変えるという点は、昨今話題になったアメコミ映画「ジョーカー」とも重なるように思います。

銃という人を傷つけるものを利用するということは、他者の存在を脅かす脅威であると同時に自らの願いを叶える「力」と言えるでしょう。

 

端に追いやられた人々が力を使って世界に抗った結果、新たな世界を自分で構築してその責任を背負って生きていくラストはなかなかに考えさせられるものがあります。

 

 


「水」の魚を纏う陽菜の真の役割は雨男を救うこと?

 

今作のもう一人の主人公といえる「晴れ女」陽菜。

彼女は天気とつながってしまい不思議な力を持った人物でしたが、彼女についての謎は多く意味深であった天気の描写とも関連付けられそうです。

 

●水の魚の意味

●クジラや龍の形の水の塊について

●陽菜の描写の違和感

 

これらについて考えていくと、陽菜の本当の役割は帆高を救うことであったのではないかという結論が導き出せました。

順を追って説明していきます!

 

「水」の魚は何を意味していたか?

 

水の魚

 

須賀と夏美が取材した古い神社の神主は、天気の巫女について

「人の切なる願いを受け止め、空に届けることのできる特別な人間」

と語っており、その代償として悲しい運命があると言っています。

 

瀧の祖母である冨美は

「空の上は別の世界さ」

と言っている描写もありましたね。

 

また私たちが過ごす日常でも、雨は憂鬱のイメージがあります。

連日雨が続いた日は、洗濯物が干せなかったり太陽が恋しくなったりしてしまいますよね…。

作中の人々は毎日続く雨から晴天を渇望していました。

 

天気の巫女の役割である「人の願いを受け止めること」「雨に対する人の心理描写」の2点を踏まえると、天気の子における水の魚は一匹一匹が「様々な人の悲しみ」であり、それがつのって降り注いでいると考えられないでしょうか。

 

だからこそ、帆高たちの「晴れ女」活動は反響を生み様々な依頼が殺到していました。

陽菜は人々の悲しみを取り除くことができる性質を持った女性であったのです。

 

そして、陽菜は悲しみの雨を消し去るものではなく人々から奪い自分の中に取り込んでいると推測します。

 

現に何度も晴天を生んだ陽菜の体は、水分を吸収し半透明になっていきました。

帆高が見てしまった宙に浮かぶ陽菜のまわりには水の魚が泳いでいましたし、「晴れ女」としての活動で祈りを酷使した陽菜は元気がなくなっていくという描写もあります。

 

神主が言っていた天気の巫女の役割は文字通り、「人の悲しみを一身に受け止め自らの身を犠牲にする人柱」であるのでしょう。

 

クジラや龍をイメージさせる水のかたまりの正体

 

陽菜が人々の悲しみとして具現化された水の魚を受け止める天気の巫女と仮定すると、それだけでは説明のつかない場面が作中に登場しています。

 

それは、一般高校生が大きな水のかたまりが空中に浮かんでいるのを発見するシーンです。

陽菜が全ての雨を取り込んでしまうのであれば上記の描写を作中でする必要がなく、もっとわかりやすいストーリーとなっていたハズ。

 

また、神主が「天気とは天の気分であり地球の意思。人の及ばない領域」という趣旨を言っていたこともありこのセリフとも陽菜の存在は矛盾しているようにも感じます。

 

これらから言えるのは、天気の子における雨とは人の悲しみを具現化した水の魚地球そのものが引き起こす自然現象的な雨の2種類があるということ。

さらに言えば、陽菜は晴天を生むために水の魚を体に取り込み、自然現象の雨を一時的に取り除いているだけに過ぎないということでしょう。

 

陽菜が取り除いた自然現象的な雨は、一時的に晴天を生むだけで大気中には残っておりその結果つのった水のかたまりを高校生たちが発見した考えられます。

 

また、このときかたまっていた水のかたまりの描写ではクジラの鳴き声のようなものが聞こえます。

水のクジラは冒頭で船上にいる帆高が大量の水を浴びるときにもそれらしきものが描かれている他、神主のいる神社の雲龍図にも描写されていました。

 

雲龍図

 

空想上の龍や哺乳類最大ともいえるクジラは、まさしく人知を超えた生物であり人が抗うことのできない巨大な自然現象を象徴としているのではないでしょうか。

 

こう考えていくと、作中の異常気象は自然現象に加えて大量の水の魚が出現したことによる影響が大きいとも言えます。

人口増加によって様々な問題を抱える現代社会を表象しているのかもしれません。

 

性的描写がたびたび描かれる陽菜

 

人々の悲しみを一身に受ける陽菜ですが、個人的に違和感に思った描写が15歳の陽菜にたびたび性的な描写が出てくる点です。

 

物語の序盤で陽菜は水商売を始めようとスカウトマンに同行しているシーンや、帆高と凪と宿泊した場所がラブホテルであったこと、帆高が陽菜の体つきに言及するシーンなども初々しいボーイミーツガールアニメにしては少々生々しい部分だと感じた方も多かったハズ。

 

バスローブを着る陽菜

 

これらの要素は、陽菜が物語でアイドル的な役割を果たしつつもそういった女性を見世物にするアンチヒロイズムを含んだ構造になっているのではないでしょうか。

 

これまで論じてきた晴れ女の役割は、自分の身を削って大勢の人々に喜びを与えるということです。

陽菜が晴れ女の仕事がみんなが笑顔になってくれるから好きだと帆高に伝えるシーンがありますが、それは陽菜にとっては人柱になり人間の尊厳を奪われることと同じになってしまいます。

 

自分が大切にする誰かよりも、その他大勢を優先してしまうことは本当に正しいことなのか?

ラストで帆高に投げかけられるテーマにつながる部分でもあり、本編で陽菜が天気の巫女として役割を果たすのか、それとも帆高と生きていきたいと自分のエゴを通すのか、揺れ動く部分の根幹でもあるのではないかと考えさせられました。

 

占い師が語っていた龍神系と稲荷系の自然霊、「雨男」だった帆高?

 

そんな陽菜は、結末部分で帆高と再会し共に生きていくことを示唆するような終わり方を魅せますが、この部分にはもしかすると天気の巫女ではない陽菜の真の役割が隠されていたのかもしれません。

 

ヒントとなるのは、序盤帆高が須賀のプロダクションで取材した占い師のセリフにあります。

 

「晴れ女は実在します。そして、雨女も実在します。晴れ女には稲荷系の自然霊が憑いていて、雨女には龍神系の自然霊がついてるのね」

 

晴れ女であった陽菜はこの説から稲荷系の自然霊が憑いていたということになります。

稲荷系の人には勤勉でビジネスに成功しやすいが気が弱くリーダーに不向きな美男美女が多いことが特徴であるのだとか。

 

陽菜にこの特徴があるかと言えば、傾向はあるな…というくらいですが、前述したようにみんなから必要とされる人物であるということは共通しているのではないでしょうか。

 

ここでもう一つ注目したいのは雨女に憑いているとされる龍神系について。

このシーンでは稲荷系の説明よりも先に龍神系の説明がされていて、晴れ女の話を取材してきたのに少し不自然を感じます。

そして龍神で思い浮かべられるシーンは、帆高が陽菜を助けようと鳥居をくぐったときに雲の龍のようなものに食べられるような描写。

そして帆高は冒頭の船上で水のクジラから崩れた雨に打たれています。

 

こう考えると、帆高は「雨女」ならぬ「雨男」であったと考えられないでしょうか?

占い師は帆高を雨男であると見抜いて説明したということです。

 

龍神系は飲み物を多く飲むことが特徴とされていますが、本作では誰かが水分補給をしているシーンが極端に少なく、これは意図的に削られているものだと感じます。

 

帆高が水分をとっているとされている描写はかなり細かいところになりますが、いくつか発見しました。

 

【ハンバーガーではなく、シェイクを毎日飲んでいる】

須賀の元に行く前のビデオ個室生活中に帆高は毎日シェイクを頼んでいました。

生活費の削減なのかもしれませんが、食べ物を頼まないのは不自然です。

 

【いつも水筒を常備している】

中身を飲むシーンは発見できませんでしたが、帆高は常に水筒を常備しており求人を探している最中や記事の編集中机に置いてあるのが確認できます。

 

【立花家で差し入れとされたコップの減り方】

立花家で帆高、陽菜、凪に出したと思われるお盆の上に乗った3つのコップが見えるシーンでは、他の2つに比べて明らかに1つのコップの水分量が減っているのが確認できます。

 

コップの減り方

 

恐らく、帆高が飲んだものではないでしょうか。

 

この他に、帆高が須賀に渡された飲み物が「夏龍」という名のビールであったことからも帆高は龍神系の自然霊がついていることを示唆しているように思います。

 

つまり帆高が雨男であった場合、陽菜の本当の役割は帆高の心の雨を晴らす存在であったということです。

 

ラストで雨が降り続けていたとしても、帆高の心は陽菜という帆高だけの晴れ女によって救われそんな彼女に出会い共に暮らすことが彼らにとっての「大丈夫」につながってくるのではないでしょうか。

 

 

帆高と表裏一体に描かれる須賀の「涙」

 

猫を抱える須賀

 

帆高の東京の暮らしをサポートすることになった須賀。

彼は劇中でも述べられているように、帆高と似た境遇を持つキャラクターでした。

 

前述した帆高が「雨男」であったとするならば、彼も同様に「雨男」であった可能性が高そうです。

帆高と須賀の共通点と相違点から、「涙」を流した彼の物語の役割を見つけていきましょう。

 

【共通点】帆高と重なる境遇を持つ大人の「涙」

 

帆高同様、若いころに家出をして出てきた東京で須賀は妻の明日香と出会ったと夏美が作中で明言していました。

 

同じ境遇の帆高に過去の自分の面影を感じたことで、雇うことにしたのだと思われます。

 

しかし、須賀はその妻を失った上に雨が降り続く東京では喘息持ちの娘・萌花は生活することが難しく名古屋にいる明日香の母によって育てられているというのが現状でした。

 

明日香の母であり萌花の養育権を持っている間宮夫人は、須賀に東京は雨が降っているからという理由で須賀に萌花を会わせたくないと言っていましたが、須賀が過去に喫煙者であったことなども萌花の環境に悪いと思っている節があります。

 

つまり逆転の発想でありますが、東京で雨が降っているから須賀が萌花に会えないのではなく、須賀自身が「雨男」で雨を生んでいるから萌花に会えないという要素があるということです。

 

しかし、彼が確実に帆高と同じ「雨男」だとするのであれば、妻の明日香も陽菜と同様の「晴れ女」であり、人々の犠牲になってしまった人物になりますがそうであるのならば陽菜が突然失踪してしまった部分でもっと物語の真相に気づいて動くような気がします。

 

以上のことから、彼が帆高と同様に不思議な体験をしているとは言い切れませんが自分の現状と救えなかった最愛の人がいる須賀は、帆高が世界から同じように追いやられている姿を見て「涙」したと言えるでしょう。

 

【相違点】許せなかった世界で生き続けている大人

 

帆高と同じ境遇を持つ須賀ですが、帆高と決定的に違う点と須賀という人物が表現されているのはラストシーン前に帆高に言ったセリフでしょう。

 

「まぁ、気にすんなよ青年 世界なんてさ、どうせもともと狂ってんだから」

 

これは、妻を失くし娘とも会えない現実を須賀が受け止めて生きているという点が表れているセリフだと感じます。

 

須賀が何故、妻を失ってしまったのか明らかになっていないためどんな状況にあったのかはわかりませんが、そんな結末を迎えそうな時、須賀は何もできず「仕方ない」と思ったのではないでしょうか。

 

だからこそ、須賀は陽菜を助けるために行動する帆高を見て警察を止める手助けをしてしまったのだとも考えられます。

許せない世界で生き続ける自分のようにはなってほしくない、そんな彼の気持ちが帆高の世界を変える決断を後押ししたのでしょう。

 

天気の子において、影の存在でありながら帆高を強く支えた親のような役割を果たしていると感じました。

 

 

 

美しい背景を得意とする新海誠監督による「空」の意味

 

新海作品の美麗な風景画像

 

作品内容とは少し外れた観点からの話になりますが、新海誠監督の作品の多くに関係しているのが物語の風景です。

キャラクター以上に魅力的な作画でついウットリしてしまいますよね。

 

どの作品にも主人公たちが空を見上げるシーンが多用されており、たどり着くことのないその景色に自分の思いを重ねる描写があります。

 

また、ほとんどの作品のラストシーンは青空が描かれており晴れやかな景色が物語の読後感を与えている印象を持ちますが、天気の子では雨が降り続けているという新海作品では異質な終わり方を遂げています。

 

この観点から言えるのは、今作は前作の「君の名は。」である程度大衆から知名度を得た作品で大きく冒険した結果なのではないでしょうか。

 

これまでの新海作品のなんとも言えない読後感を売りにしていた部分で勝負するのではなく、あえてすっきりしない終わり方にすることによって作中のメッセージが際立っていたように感じます。

 

天気というのは人の気分に大きく影響する部分だと思います。

晴れたさわやかな風が吹く日は、お散歩日和とも言われているので清々しい気分になりますし、湿度の高い雨の日はなんとなく憂鬱な気分にもさせます。

しかし、それを感じることができるのは私たちの中に心があるから。

 

今作では、新海さんの強みである晴れやかなラストをあえて削ったことで主人公たちの気持ちや個々の幸せがより強調されているように感じる作品となっていたように感じます。

 

 

 

RADWIMPSが手掛けた「曲」が持つ意味

 

RADWIMPSビジュアル

 

前作「君の名は。」でも起用されたRADWIMPSの曲。

今作でも劇中の挿入歌を全て担当しており、特に歌詞が入っている「愛にできることはまだあるかい」「グランドエスケープ」「大丈夫」は作中で大きな意味を持っています。

 

それぞれの曲が使われたシーンと歌詞に注目して解説していきます。

 

愛にできることはまだあるかい

 

 

作中で1回、エンドクレジットで1回、その他にもこのメロディラインを踏襲したフレーズが作中何度も出てくるなど「天気の子」を代表する曲になっている、「愛にできることはまだあるかい」。

 

この曲が流れるシーンは、帆高が陽菜を救おうと須田と対峙した際に拳銃で空砲を放ってから神社の鳥居をくぐるまで流れ続けます。

 

『何も持たずに 生まれ堕ちた僕 永遠の隙間で のたうち回っている』

『勇気や希望や絆とかの魔法 使い道もなく オトナは眼を背ける』

 

上記の歌詞は帆高が自分に置かれた立場や社会に対する憤りが歌詞で表現されているように感じます。

 

『それでもあの日の 君が今もまだ 僕の全正義のど真ん中にいる』

 

続く歌詞では、陽菜を思う譲れない思いがつづられているのではないでしょうか。

 

『愛にできることはまだあるかい 僕にできることはまだあるかい』

『君がくれた勇気だから 君のために使いたいんだ』

 

サビ部分ではだからこそ、陽菜を助けるために行動する帆高の劇中の行動とリンクしている歌となっています。

 

グランドエスケープ(feat.三浦透子)

 

グランドエスケープは帆高が鳥居をくぐり、空の世界で陽菜と再会する際に流れます。

 

RADWIMPSの曲ですが、女優兼歌手である三浦透子さんが加わった透明感のある艶やかな歌声が特徴の曲。

 

『空飛ぶ羽根と引き換えに 繋ぎ合う手を選んだ僕ら』

 

という歌詞から始まる曲は、落下しながらも手を取り合う帆高と陽菜を象徴しているフレーズに思われます。

 

繰り返し歌われる

 

『もう少しで運命の向こう もう少しで文明の向こう』

 

部分は太古から定められていた天気の巫女という生贄としての役割とは異なる、陽菜の人としての幸せを期待させるように感じられます。

 

歌詞の最後部分

 

『僕らの恋が言う 声が言う 「行け」と言う』

 

では帆高が作中でもう天気なんて晴れなくていいと陽菜に叫ぶシーン相まって二人だけの願いを後押しするような演出になっているのではないでしょうか。

 

超高速で空を落下しているスピード感あふれる映像と曲の盛り上がり相まって、非常に見どころのあるシーンとなっていました。

 

大丈夫

 

 

物語のラストに流れる「大丈夫」は、天気の子のメッセージそのものといってもいいほど重要な曲となっています。

 

というのも新海監督は「天気の子」脚本の初稿が完成したとき、最初に読んでもらう相手としてRADWIMPSの野田洋二郎を選び、それを読んだ段階で野田さんは「愛にできることはまだあるかい」「大丈夫」のデモ曲を感想として新海監督に送ったそうです。

 

当初は歌詞の言葉と主張が強すぎたが故に、作品内で使おうとはせずに企画は進んでいきましたが、制作過程でラストシーンの演出に新海監督が悩んでいた時、デモ曲「大丈夫」を思い出して聴いてみたところ、ここに帆高と陽菜たちの感情が全て表現されていると気づいたんだとか。(この内容は小説版天気の子のあとがき部分で新海さんが語っている情報です)

 

『世界が君の小さな方に乗っているのが 僕にだけは見えて泣き出しそうでいると』


『「大丈夫?」ってさぁ 君が気付いてさ聞くから』


『「大丈夫だよ」って僕は慌てて言うけど』


『崩れそうなのは君なのに』

 

これらの歌詞は、みんなの天気を一人背負っている陽菜を見てきた帆高そのものであり、そんな彼の心配そうな顔を伺っている陽菜でもあります。

 

そこからつながる

 

『君を大丈夫にしたいんじゃない 君にとっての「大丈夫」になりたい』

 

という歌詞こそが、帆高の考察部分で前述した行ったことに対する向き合い方と陽菜を幸せにする「誓い」を表現していると感じます。

 

ラストにこの曲が起用された理由も含めて、RADWIMPSのこの作品に対する思いと野田洋二郎の本質を見抜く力が遺憾なく発揮された名曲です。
 

 

 

大ヒット映画「君の名は。」の続編?登場キャラがまさかのゲスト出演!

 

君の名は。メインビジュアル

 

天気の子では、作中の要所要所で「君の名は。」に登場するキャラクターがカメオ出演しています。

「君の名は。」を鑑賞済みの方は「天気の子」を見て驚いた人も多いのではないでしょうか。

 

登場するキャラクターにはガッツリ本編に絡んでくるキャラクターもいれば、よ~く見ていないと見過ごしてしまうキャラもいます。

 

このことから「天気の子」は「君の名は。」の世界観と同じ!?という考察がありますが、それを踏まえて考えると作中で矛盾が生じますのでその点も取り上げていきます。

 

「君の名は。」キャラクター登場シーン

 

まずは「君の名は。」に登場したキャラクターがいつ登場していたかを紹介していきます。

※以下は映画「君の名は。」のネタバレを含む内容になりますので、ご注意ください!※

 

「君の名は。」主人公・立花瀧

 

瀧君

 

「君の名は。」の主人公瀧くんこと立花瀧は、帆高たちが花火大会イベントを晴れにした後、お盆を晴れにしたいという瀧の祖母・立花冨美さんの依頼時に登場しました。

 

「君の名は。」の時よりも身長が伸びて成長した姿が見れましたよね。

瀧は帆高が陽菜へ誕生日プレゼントをあげるように提案しており、帆高が陽菜を意識する重要なターニングポイントを作っていました。

自分の過去の経験を踏まえて大切な人には、伝えなきゃだめだよと帆高を諭している場面でもあるのかもしれませんね。

 

また、祖母の冨美さんは帆高が高校を卒業した後に再登場しその際の腕に注目してみると、宮水家にまつわる組紐のようなものをしているのが確認できます。

この点から、瀧と三葉が結婚したのではないか?とファンの間では考察されているようです。

 

「君の名は。」ヒロイン・宮水三葉

 

三葉

 

ヒロインの三葉は、帆高が陽菜への誕生日プレゼントを買いに行ったアクセサリー屋さんの店員として登場しました。

 

指輪をどれにしようか三時間も迷っていた帆高に「きっと大丈夫、喜んでくれますよ!」と優しい声をかけていたのが印象的です。

三葉のトレードマークとも言える赤いリボンが全面に押し出されない描写が製作者の焦らしを感じさせてニクい演出でした。笑

 

瀧から提案されたプレゼントを三葉の店で買うという流れに、意図せずとも「君の名は。」カップルはつながっているという尊さを感じます!

 

宮水三葉の友人・勅使河原 克彦(テッシー)と名取 早耶香(サヤちん)

 

「君の名は。」でヒロインの三葉と同級生であり、結末部分で付き合っていることが示唆されていたテッシーとサヤちん。

 

彼らは瀧が登場するよりも以前、陽菜たちが初めて「晴れ女」活動をするフリーマーケット会場のシーンに登場します。

 

無事に陽菜たちの周辺を晴天にすることができたところでは、久しぶりの日差しを喜ぶ人々が描かれていますがこのシーンで観覧車に乗っている二人カップルがテッシーとサヤちんです。

それぞれ

 

「うわぁ~綺麗!」

「すげぇ」

 

という短いセリフでしたが、エンドクレジットでは前作でのキャラクターを演じた成田凌さんと悠木碧さんの名前が記載されていました。

 

宮水三葉の妹・宮水四葉

 

テッシーとサヤちんもなかなかの見つけづらさでしたが、四葉の登場シーンも見逃してしまったのではないでしょうか。

 

四葉が登場したシーンは物語の終盤に差し掛かる部分、陽菜が一時的に人柱になり晴天となった空を人々が見上げているところです。

 

多くの人々が久しぶりの太陽を浴びながら空を見上げる中、三人の高校生が描かれていますがここでツインテールにしている少女が四葉になります。

 

「なんか涙出るね」

 

とつぶやくのが印象的です。

「君の名は。」終盤では成長した四葉が登場していましたが、この時の四葉とほぼ同じような姿です。
 

四葉

 

 

「天気の子」と「君の名は。」に直接的なつながりはない?時系列の矛盾

 

振り返る瀧と三葉

 

「君の名は。」から登場した瀧や三葉たちは「天気の子」で、高校生から成長した姿となっていました。

 

「君の名は。」では主に公開された2016年を舞台に物語が進んでいき、最終的に2022年の春に物語は結末を迎えます。

続く「天気の子」は2021年から始まり、ラストシーンで帆高は3年が経過していることを告げているので2024年で物語は幕を閉じたと考えていいでしょう。

 

君の名はと天気の子の時系列図

 

まとめると上記の図のようになりますが、「君の名は。」と「天気の子」が同じ共通の世界の物語であると考えると大きな矛盾点が生じてしまいます。

 

それは、「天気の子」では帆高たちの決断によって2021年から雨が降り止まないということです。

 

「君の名は。」のラストは2022年の春に雨が止んだ晴れ空で終わっていました。

また、「天気の子」のラストでは東京の多くが水没してしまっていたため瀧と三葉が再会した場所は存在していないのではないかという問題が発生してしまいます。

 

以上のことから「天気の子」に登場する「君の名は。」キャラクターはあくまでゲスト出演であって、作品同士が同世界線ではないパラレルワールド説なのではないでしょうか。

 

仮に「天気の子」と「君の名は。」の世界線が同じだと考えるのであれば、もう少し掘り下げが必要です。

次の項では「天気の子」が「君の名は。」の続編だった場合に考えられる考察を2つ紹介します。

 

瀧と三葉には雨が上がったように見えていた

 

「君の名は。」のラストは瀧と三葉の二人の視点で描かれました。

雨が上がったあの晴れ空は、これまで自分たちがずっと誰かのことを探していたことに気づけたこと、そしてそんな誰かと再会できたこと、彼らの気持ちが体現されたようなものだったのかもしれません。

 

「秒速5センチメートル」を彷彿させるすれ違いながら振り向くシーンが、感慨深いラストでした。

 

帆高の選択によって「君の名は。」の結末が書き換えられた

 

「君の名は。」ファンにとってショッキングな内容になりますが、もしかすると帆高の行った世界より陽菜を救うという決断は私たちが思っているよりも深刻なことなのかもしれません。

 

それは雨が降りやまない世界になったことで、「君の名は。」の展開がなくなり、瀧と三葉は再会することがなかったという説です。

水没してしまった東京では、「君の名は。」のラストの展開が生まれないため瀧は他の人と結婚したのではないでしょうか。

 

「そんなひどい展開ある!?」と思ってしまいますが、瀧が三葉と結婚したことを示す要素はあるものの確証がないことと、帆高が運命に抗った上で陽菜と生きていくという決断により強く残酷な説得力が出ると考えられます。

 

大ヒット映画「君の名は。」を否定するかのような説ではありますが、そうとることもできる新海作品の解釈の多さと深さが感じられるのではないでしょうか。

 

 

 

天気の子を鑑賞した方たちのネタバレ感想

 

天気の子を鑑賞した方のネタバレ感想をいくつか取り上げて紹介していきます。

賛否どちらもありましたので、鑑賞したあなたはどちらよりの感想を抱いたのか見てみましょう!

 

【好感】新海誠の最高傑作という方も!高評価の口コミ・感想

 

「君の名は。」よりもわかりやすい物語でしたが、まさかこんな展開だとは思わなかった笑

子供たちの社会に対する憤りをテーマに光と影の部分をうまく描かれていたなぁと感じる。


とにかく綺麗な映像で送られる少年少女の結末に、残酷ながらもご都合主義ではないラストを感じた!

大多数の幸せと自分自身が大切にしたい幸せって大人だからこそ感じる難しさだと思う。


最後に全てを受け入れる帆高がすごく大人に見えてしまった!

 

また新海さんは成長した物語を届けてくれてように感じた。

新海さんは、ずっと世界の中にいる自分と思い人との関係を描いているような気がする。


「秒速5センチメートル」では環境という世界に流された物語。

「君の名は。」ではそんな環境に流されずに愛するものと帰結していく物語。


そして今作「天気の子」では理不尽な環境に抗い、その世界や人を傷つけながらも愛するものを譲らない物語であったように思う。

これまでの作品を見ている側からすれば、代り映えのしない作風ともとれるけど明らかにメッセージ部分が成長しているように感じた。


大衆向けに制作した「君の名は。」を経てこういった作品が出てくることが嬉しいし、常にアップグレードした主張を届けてくれるからファンとしてはこれからも期待したい。

 

新海作品は初めて鑑賞したけど、面白かった!

自分が今東京に住み始めたっていうのもあるのかもしれないけど、共感できる部分もあったし何より何か一つのことを愛し貫き通せる力っていうテーマがとても良かったと思う。

RADWIMPSの曲が作中とてもあっていたのも大きい理由かも。

風景は現実の東京と同じだけど、雨の描き方とか晴れたときの陽光がすさまじく幻想的でよかった!


こんな風景が現実にもあるって感じながら生きていきたい!

 

アニメで美しい風景を描くのが特徴的な新海誠の特徴だと思うけど、これまでの作品とは違って雨のまま終わらせるっていうのは新しく感じたし、それでも清々しさというか美しい物語だと感じたな~。


新海作品とRADWIMPSはもうニコイチなんかってくらい音楽との一体感があった。

この作品を見た後に、愛にできることはまだあるかいを聴くと泣ける。

もともといい歌だったけど、それまでの比じゃないくらい響き方が違うような…。

新海さんもRADの野田さんも少年少女の純朴な心を持ち続けて表現してくれる希有なクリエイターさんだよね~。

 

高評価の感想には、新海誠ファンからも初めて新海作品を見たという方のどちらにも好印象だったものが多かったです。

特に、アニメーションの美しさが評価されているように感じました。

 

フィクションが織り交ぜられた実在する東京が舞台になっているため、見たことのある景色がとても魅力的に感じるなどの共感意見は確かにそうかも!と思わせられました。

 

 

 

【不快】ストーリーについていけない、ひどい!つまらないという口コミ・感想

 

申し訳ないけど登場人物の子供たちにクソガキという思いを抱いてしまった。

道徳的にアウトなことをバンバンやるのは映画だしってことでいいのだけど、そこに何らかの解決方法とかまとめ方がないから、かなりやらかした人たちの話になってしまっているように思う。


やっぱり親目線とかになると危なっかしさが気になるし、主人公の明白な家出理由とかもないから感情移入もしづらい。


アニメーションがすごく綺麗で良かったのも相まって、変にリアルな設定と生々しい展開に何とも言えないもどかしさを感じてしまった。

 

話題作だったから満を持して鑑賞したけど、新海監督の作品は自分の肌に合わないのだなと感じちゃった。

キャラクターの言動とか展開のテンポ感とか挿入歌のタイミングとかほとんどが好みじゃない。

RADWIMPSの歌は使いまわししすぎてくどかった。


気を引く点はなくダラダラ話が進んで、突拍子もないことが起こる感じ。

興味が持続しないから、鑑賞時間がとても長く感じちゃったな。

 

君の名は。でも感じたけど、新海さんの物語はアニメーションの綺麗さで魅せている部分が大半に感じる。


天気の子はそれよりもアニメの部分に頼ってる箇所が多くて、とにかく気になった。


結末の意図とやりたいことはわかるのだけど、アニメだからっていう理由で子供を主人公にできてるような気がするし、本当は商業的ではないかなり重たいテーマが核になっているからその部分がすごくチープになってたよう思える。


大ヒットを記録した作品だけど、この作品を見てどれだけの中高生たちが考えるんだろうっていう。

なんとなくいい映画だったんじゃないか…再会できて良かったんじゃないか…ってところどまりになっちゃうような。


シーンを切り取るとすごくいいなぁ~と思うのは、やっぱりアニメの絵の力だったり演出だったりする。

実際の伝えたい内容とは違うところが評価されているから、ストーリーとリンクしないのはもったいないな~と感じる。

 

批判的な感想では、主に中年層からの意見が多いと感じました。

確かに未成年のキャラクターたちが倫理的にどうなのという行動をとるのは、少し心配になる気持ちが出てきちゃいますね…。

他には、ストーリー展開についていけないという点が目立ちました。

かなり現実的な設定でファンタジーの要素が含まれる作品になっているので苦手な人はいるかも…と感じます。

 

 

 

映画「天気の子」ネタバレ解説に関するまとめ

 

天気の子に関する情報をお届けしました。

最後に記事をまとめていきます。

 

映画「天気の子」基本情報

●「君の名は。」新海誠監督作品で2019年の日本興行収入ランキング第1位の大ヒットアニメ映画


●RADWIMPSの「愛にできることはまだあるかい」などの挿入歌が話題となった


●家出少年帆高と晴れ女陽菜が出会うボーイミーツガールもの
 

●小栗旬や本田翼などの有名俳優がキャストの勢ぞろい


●賛否両論のある作品で多くの解釈ができるようになっている

 

映画「天気の子」ネタバレあらすじ

●家出少年の帆高が東京での生活で天気を100パーセント晴れにできる陽菜と出会う


●雨が降り続ける東京で帆高と陽菜は「晴れ女」として活動し始める


●「晴れ女」には自らを犠牲にして、天候を正常に戻す人柱としての役割があり陽菜が消えてしまう
 

●陽菜を救い出した帆高は止まない雨が降り続ける東京で、共に生き続けることを誓う
 

 

映画「天気の子」考察部分

●帆高が所持していた銃は、彼の反抗や世界を変える力を示している
 

●晴れ女の陽菜は自己犠牲と自身の幸せの象徴
 

●帆高と表裏一体の関係にある須田は、変わらない世界を生き続ける
 

●RADWIMPSの曲に込められた願い
 

●これまでの新海誠作品とは異なった解釈を与える空の意味
 

 

様々な物議を醸しつつも、たくさんの方に評価されている「天気の子」。

大傑作だと思った方、納得いかなかった方も再び見ることで新しい発見があることは間違いない作品だと思います。

天気のいい日にも!雨の日にも!ぜひもう一度視聴してみてください!

 

 

※本ページの情報は2021年9月時点のものです。最新の配信状況は各動画配信サービスサイトにてご確認ください。

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執筆

クマミ

トイストーリーと共に育ち、大人になってしまった人。 好きな映画はガーディアンズ・オブ・ギャラクシーです。 おいしいウィスキーを飲みながらオシャレな映画が見たいこの頃。 皆さんが作品を見たくなるような記事を書くため精進中!

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