SF小説作家・伊藤計劃の小説を原作とした映画『虐殺器官』。
映画を一度見ただけではなんとなく分かりづらい「キャラの感情の変化」を、ネタバレ解説を交えて考察していきます。
キャラの心理に関しては原作でも明確に説明されていないので、あくまで私個人の予想です。「そういう見方もあるかも」というくらいに読んでいただければ幸いです。
更新日:2021-7-26
<プロモーション>
SF小説作家・伊藤計劃の小説を原作とした映画『虐殺器官』。
映画を一度見ただけではなんとなく分かりづらい「キャラの感情の変化」を、ネタバレ解説を交えて考察していきます。
キャラの心理に関しては原作でも明確に説明されていないので、あくまで私個人の予想です。「そういう見方もあるかも」というくらいに読んでいただければ幸いです。
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作品の時系列は
①「屍者の帝国」
②「虐殺器官」
③「ハーモニー」
という順番ですが、執筆順は
①「虐殺器官」
②「ハーモニー」
③「屍者の帝国」
となっています。
しかし、世界観は共有しているものの、物語自体は独立しているので必ずしも時系列通りに観なければいけないということはありません。
あえて言うのであれば、「ハーモニー」は「虐殺器官」の後の世界…あの惨劇の後、世界はどう変化したのかを描いた作品です。
物語の舞台背景を理解するためにも、まず先に「虐殺器官」を観た方がより楽しめるでしょう。
「屍者の帝国」は正確には伊藤計劃先生“だけ”の作品ではなく、円城塔先生との共著になっています。
こちらの作品は、本来の作者である伊藤計劃先生が冒頭執筆段階で惜しくも亡くなられてしまい、その後を友人でもあった円城塔先生が引継ぎ、完成させたという経緯があります。
なので、こちらの作品はほとんど円城塔先生が書いたものであり、伊藤計劃先生の純粋な作品とは言えません。
核によるテロをきっかけに監視社会が形成された世界。自身の身分を証明するIDがないと買い物すらできない、そんな世の中が出来上がっていた。
『テロが起きないよう徹底した管理を行う世界』である時、後進国を中心に虐殺事件が相次ぐ。そんな虐殺の現場には常に一人のアメリカ人男性の影があった。元MITの言語学者のジョン・ポールだ。
(ジョン・ポールの画像)
虐殺器官より、ジョンポール
— ドライブ院鳥 (@drive_in_tori) April 3, 2019
伊藤計劃の描いたキャラクターの中でも飛び抜けて社会学と関わってくる人物であると思っている
思想と手段が現実線上に非常に近接しているのが素晴らしいキャラ pic.twitter.com/fUvjs0RQnF
暗殺を請け負う唯一の特殊部隊『アメリカ情報軍事特殊検索群i分遣隊』大尉の主人公・クラヴィスは、そんな大量虐殺の扇動容疑者・ジョンを暗殺するために彼の足取りを追うことになった。
●ジョンの愛人と接触
ジョン・ポールの足取りを追うため、クラヴィスらはプラハでチェコ語の教師をしている女性『ルツィア』に、生徒として接触を図る。
(ルツィアの画像)
【Voice】
— 「虐殺器官」BD&DVD 発売中! (@PJ_Itoh) August 22, 2015
『虐殺器官』よりルツィアhttps://t.co/ZpLFE8Yuvz
プラハ在住のチェコ語の教師。ジョン・ポール追跡任務でプラハに来たクラヴィスは、かつてジョン・ポールと関係のあった彼女に近づく…#PJ_Itoh pic.twitter.com/GMpz6u3lQU
ある日、クラヴィスはルツィアにクラブに誘われ、そこで『計数されざる者』という政府の情報管理から外れた生活を送るルーシャスたちと出会った。
その帰り道、クラヴィスはジョン・ポールに協力するルーシャスら『計数されざる者』に襲撃され拘束されてしまう。
●ジョンとのファーストコンタクト
「きみが誰かは知らないが………おそらくは私を殺しに来た人間だろう?」
拘束された先でクラヴィスはジョン・ポールと対面する。
クラヴィスは彼から「虐殺には文法がある」と聞かされる。
「“虐殺”には共通した深層文法がある。(中略)言語の違いによらない深層の文法だから、そのことばを享受する君たち自身にはそれらが見えない。」
そしてジョンは「君との会話の中に深層文法を忍ばせた。」と言い捨て、クラヴィスの前から姿を消す。
その後、監禁部屋から出されたクラヴィスは、ルツィアを監視していたことをジョンによって暴露されたことでルーシャスに殺されそうになるが、ウィリアムズら特殊検索群i分遣隊の奇襲によって救出される。
しかし、ジョン・ポールとルツィアは行方をくらましてしまった。
●インドでの作戦
新インド政府にある武装集団「ヒンドゥー・インディア共和国暫定陸軍」にジョン・ポールの影をみる。
アメリカ情報軍は再びクラヴィスらに出撃を命じるが、「虐殺の文法」の話を聞いたロックウェル大佐は、今度は「暗殺」ではなく「逮捕」を命じる。
●上院院内総務の裏切り・ジョンの逃亡
インドでの作戦でジョン・ポールを捕らえたクラヴィスらだったが、ジョン・ポールに作戦情報を漏らした上院院内総務が派遣した部隊によって、クラヴィスの部隊は多くの隊員を失い、また捕獲したジョンにも逃げられてしまう。
※物語の多大なるネタバレを含みます。
●最後の作戦
アフリカの『ヴィクトリア湖沿岸産業者連盟』政府にジョン・ポールが招待されたという情報を得え、クラヴィスらはジョン・ポール暗殺のためヴィクトリア湖に向かう。
そこでジョンとルツィアに再会したクラヴィスは、ジョンの真の目的を知ることになる。
「愛する人々の為だ。」
ジョンはそう言った。戦争を起こしそうな後進国やアメリカ以外の国で内戦を引き起こし「アメリカに牙を向ける前に向こう側で殺し合ってもらう。」「そうすることで私の世界の平穏を守る。」ということだった。
その事実を知ったルツィアは「私たちの平穏がどんなものの上に成り立っているのか、みんな知る必要がある。ジョンがやったことを世界に説明するべき。」と言った。彼を逮捕し、アメリカに連れ帰って欲しいと、彼女はクラヴィスに頼む。
しかし、ルツィアはそのすぐあと、クラヴィスの仲間によって殺されてしまった。
クラヴィスはジョンを連れなんとか逃げるが、ジョンはクラヴィスに「これが私なりのルツィアへの贖罪だ。」と、クラヴィスに『虐殺の文法』を託し、死んでしまう。
●もうすぐ虐殺が始まる
クラヴィスは『アメリカ連邦議会公聴会』でこれまでの事を話した。…『虐殺の文法』を使って。
●徹底的管理社会が構築された先進国
サラエボに核が投下された日、核兵器は抑止力から「戦場で使える武器」となってしまった。
世界の人々が大量に人が死ぬことに慣れ始め、戦場が身近になってしまった世界。そんな世界で、先進国ではより安全を確保するために「国民の徹底的な管理」が行われるようになる。
通貨は全て電子化され、個人のIDと結びつき「何を買ったか」「どこに行ったか」「誰といたか」日常のすべてが管理されている。それは、自由と引き換えに得た平穏。
●『虐殺器官』を動かす『虐殺の文法』
ジョン・ポールが見つけた『人の脳に作用する、言語パターン』。
この文法を用いた言葉を長く聴き続けると、人間の脳はある変化をもたらす。価値判断基準における脳の一部機能の抑制…つまり「良心の方向性を、人殺しに結びつける」のが、この『虐殺の文法』である。
●兵士は作戦中『良心』を持たないよう調整される
「良心が殺意と同じくらい感情的な反応であると、人は中々認めようとしません。」
『戦闘適応感情調整』
兵士たちは戦闘に適した感情の状態に調整されている。
戦場での反応速度を高め、判断に致命的な遅れをもたらしかねない心理的ノイズ(良心・殺人に対する忌避感・罪悪感など)をカットするため、前頭葉の特定の機能モジュールをマスキングと、医師のカウンセリングによる相互作用によって感情調整は行われる。
●主人公クラヴィス・シェパード 「生の実感を得るために受け入れた罰が僕自身のものではなかったとしたら…。」 戦場で人を殺す。『戦闘適応感情調整』を受けた自分は、戦場にいるときどれだけ「本当の自分」であるのだろうか。この殺意は、本当に自分のものなのか。敵を殺したことで得る生の実感も、他人によって埋め込まれたものではないのか。 ●虐殺の扇動者ジョン・ポール 「耳にはまぶたがない。私の言葉を阻むことは誰にもできない。」 『文法(言葉)』を用いて虐殺を引き起こす。 言葉に「人々を殺しに導く文法」を忍ばせ、他人の良心を抑制し、殺すという行為が最良な判断であると、理にかなってると思わせる。自分の守りたい世界のために。 |
2人は立場や目的は違えど、お互い『虐殺の文法』の恩恵を活用しているのです。
そして、作中いつまでもうじうじと悩み続けるクラヴィスに対し、虐殺を引き起こすジョンは明確な目的を持ち行動しています。
真逆なこの二人の対比も、この作品の1つの注目ポイントだと思います。
「ぼくの母親を殺したのはぼくのことばだ。」
これは主人公が、母親の延命治療を止めたことに対する独白です。
物語の最初から最後まで、この「母の死を決断した」ということが彼について回ります。
たしかに、自身の母親の死を決めるというのは、とてもつらく重いものです。でも、ある程度は「母の為」「自身の生活の為」仕方がなかったことだと、時間と共に飲み込めるようになることではないでしょうか。(この私の考えが冷たすぎると言われればそれまでですが)
ですが、クラヴィスは「母」が夢に出てきてしまうほど、この決断に酷く思い悩みます。
『感情調整』のおかげで戦場では人殺しに何とも思わない。 ↓ なんでこんなにも母の死は心に刺さるのだろう…。 ↓ 戦場での僕は、本当に僕自身が考えて行動していると言えるのだろうか…? |
「母の死」で動いた自分の感情と、「戦場で殺してる」ときの自分の感情の差異に気付いてしまったのがクラヴィスの苦悩の始まりです。
比べることができないうちは幸せでした。でも、比べてしまったらもうその『差異』から目をそらすことが、彼には出来なかったのです。
『日常の自分』と『戦場での自分』の違いを明確に感じてしまったクラヴィス。
作中、度々死人と問答する彼の夢は、そういった抑圧に対する、「彼自身」の無意識に感じていた苦悩をイメージしていたのでしょう。
「母の死を決断した」というのは、その『差異』が明確になってしまった象徴です。ゆえに戦場に立つ限り忘れることができず、何度も何度もその時の苦痛がよみがえります。
なので『母の生命維持を止めたことに罪の意識がある』というのは正しくないかもしれません。クラヴィスが独白で言葉をこねくり回し『罪悪感』と思い込みたいだけで、実際に悩んでいることはそのせいで浮かんでしまった「戦場でのぼくは、どれくらい本来の自分なのだろう…?」という疑問が大きいと感じます。
物語の中でジョンがクラヴィスに潜ませた『文法』について具体的にどんなものであるとか、どういう変化を与えたのだとか、そういう説明は一切ありません。
なので、「ジョンがクラヴィスとの会話に潜ませた深層文法」は、その後のクラヴィスの行動から読み取るしかありません。
上記は始めてジョンとクラヴィスが相対した時のジョンのセリフ。ここは『虐殺の文法』についてジョンが長々と語っているシーンです。
映画を一度観ただけでは何とも伝わりにくい、彼の語る『虐殺の文法』がいったいどんなものなのか、私の解釈も含め簡単にまとめます。
・音楽は意味が分からなくとも人を鼓舞する ・つまり『音』は意味を迂回することができる ・これが言葉に潜む『文法』の原型 |
『錯覚』『幻覚』『思い込み』…そのようなものを相手の脳みそから引きずり出すのが、ジョンの使う『文法』の本質なのではないでしょうか。嘘を吐くには、人を惑わすには『音』が必要です。
それを『虐殺』という一つの方向性にのみ特化させたのが、『虐殺の文法』なのだと思います。
そんな文法を使って、ジョンはクラヴィスに何をしたのでしょう。
物語終盤、やけにクラヴィスがルツィアに執着しているな?と感じます。
出会った当初は、ルツィアの感じる『罪悪感』に共感し、同族意識からの好印象をもった、という感じでした。しかし後半はその同族意識からはあまりピンとこない、強い執着が見られるようになります。感情を抑制されたはずの軍人であるクラヴィスが、作戦行動中に合理的判断を下せなくなるほどの強い執着です。
インドでの作戦行動前のクラヴィスの脳内は、“逮捕しなければいけない”ジョン・ポールよりも、“自分が会いたい”ルツィアの事で頭がいっぱいです。
この急な変化こそが、ジョンがクラヴィスにもたらした思考誘導ではないでしょうか。
「きみは私がどんな研究をしていたのか何も教えてもらえていないのかね…。まぁ“彼ら”らしい。」
①現状に不信感を与え、違和感を覚えさせる ②自分のいる場所に苦痛を感じる ③職場の空気に馴染めず、馴染めないことにすら罪悪感 ④どっちつかず自分に嫌悪 ④唯一の救いと思い込んだ「ルツィアからの許し」を欲する |
上院院内総務が派遣した部隊との戦闘で、クラヴィスは明確に『恐怖』を感じていました。これは戦闘適応感情調整されている状態としては違和感のある描写ですので、ここもジョンのテコ入れの効果だと思います。
その恐怖は戦闘による死に向けられたものではなく「感情・痛覚を調整された者同士が、致命傷を負いながら互いの肉体がミンチになるまで戦い続ける」ということが可能な自分たちの『脳』に恐怖を感じているのです。ここで、今まで感じていた『違和感』が『恐怖』となって明確にクラヴィスに襲い掛かりました。
今まで問題なく馴染んでいた仕事にもどんどん馴染めなくなっていって、恐怖を感じる自分に、彼らとは違う、自分はちゃんと自分であると「安堵」し、でも戦場に馴染めないことに「罪悪感」を感じ、頭の中がぐちゃぐちゃになっていきます。
そうして、アイデンティティが曖昧になる中で向けられた執着(心のよりどころとでも言うべきか)が「ルツィアからの許し」でした。
●結局、ジョンは何したの?
おそらくジョンには明確に「クラヴィスをこうしたい」という意思は無かったと思います。
ただ、現状に疑問を覚えさせ、不信感を与えることで、彼の何か…根幹となるものを揺さぶりたかったのでしょう。それがたまたま、ルツィアへの執着となっただけで。
・『執着』を向けた先のルツィアはもういない ・自分の求める『許し』を与えてくれる人はいない ・ジョンから『ルツィアに対する贖罪』を託された |
あの時プラハで、ジョン・ポールによって何かを揺さぶられたクラヴィスは、彼を追っていく中で自分の『芯』となるものがどんどん崩れていきます。
何も支えの無くなったクラヴィスに残ったのは、ジョンから託された(と思っている)『ルツィアに対する贖罪』だけだったのでしょう。だから「ぼくに抗う術はなかった。」
最後、自身の国で内戦を引き起こしたクラヴィスは「この罪を背負う」などと強く決意したように言っていますが…結局、クラヴィスの中に残ったのは「許してほしい」という思いだけだったと思います。
ジョンの思い、ルツィアに頼まれたこと、彼らの望みを、自分のエゴを巻き込んで実行し、死んでしまった彼らに許されたかったのかもしれません。
それと、少しだけジョンに憧れのようなものも感じていたかもしれませんね。
身体の状態すら、埋め込まれた機械によって国に把握されるような世の中。そんな「管理された世界」では「負の感情」すら数値として現れ、反抗性を示す数値が一定数に達すれば『処分』されてしまう…。『ハーモニー』はそんなディストピアを生きる一人の女性の物語。 |
先述した通り、『ハーモニー』は『虐殺器官』の未来の世界を描いた作品です。(物語としては独立しています)
悲しいことに、未来の世界では『虐殺器官』の時よりもさらに徹底した「管理社会」が出来上がっていました。
ここからは余談となります。
2007年に「虐殺器官」にてSF作家としてデビュー。2009年に癌のため34歳という若さで亡くなったSF作家。
作家としての活動期間はたったの2年しかなく、その間に出した彼の完全オリジナル長編は先述した2作品のみ。
しかしそんな短すぎる活動期間にも関わらず、彼がSF作品業界に与えた影響は大きく、彼のなくなった後には「伊藤計劃以後」という言葉すら生まれたほど。
そんなたった2年で作家人生を終えてしまった「伊藤計劃」という人はいったいどんな人だったのでしょうか。
2007年に「虐殺器官」でSF作家としてデビューし、同年に人気ゲーム「メタルギアソリッド4」のノベライズも手掛けることになります。その背景には、「メタルギアシリーズ」の生みの親である小島秀夫監督と個人的な交流がありました。
伊藤計劃は、自身で「小島原理主義者」「MGSフリークス」と自称するほどの小島監督の熱狂的なファンであり、彼らは初め「ファンとクリエイター」という形でつながっていました。
ファンとクリエイターとして交流し、病気を乗り越え、色々あり交流を深めた彼らは、「友人」という関係にまで発展することになります。
その後、伊藤計劃が「虐殺器官」を出し、それを絶賛した小島監督が「メタルギアソリッド4」のノベライズを依頼することになったそうです。
実は作家としてデビューする前から伊藤計劃は自身のブログ(https://projectitoh.hatenadiary.org/)で様々な映画作品を批評していました。
彼は『映画マニア』としても有名であり、上記のブログにてたくさんの映画作品のレビュー記事をあげています。
『リドリー・スコット』や『デヴィッド・フィンチャー』、『押井守』、『黒沢清』など、それぞれ個性ある優れた映像表現を得意とする監督の作品を好んでいたようでした。
実はそんなブログの内容が本となってまとめられています。
「ぼくは昔から喘息で、サルタノール吸引器はマストアイテムだった。」
彼は作家としてデビューする以前から入退院と手術を繰り返していました。
・2001年、右足にユーイング肉腫が発見、手術により病巣を除去。 ・2005年、左右の肺への転移が判明。『虐殺器官』を執筆。 ・2006年、再手術。激しいうつ状態になる。 ・2007年、肺転移再発。左肺半分切除。『虐殺器官』刊行。 ・2009年、全身6か所に癌が転移。3月20日、没。享年34。 |
伊藤計劃のSF作品は『ポストヒューマンSF』というジャンルに分類されます。
『ポストヒューマン(人類進化)SF』というのは「技術の発展に伴い変容した“価値・倫理・定義”や人間性などをテーマにしたSF作品」の事を指します。SF作品でよくみる『人間と人工知能の共生をテーマにした作品』というのもその一つです。
作家になる以前の伊藤計劃はこんなことを書いていました。
「科学技術により維持される身体、科学技術がなければ消滅してしまう身体。これが意味するのは、ぼくがサイボーグだってこと。(中略)自分の生きてきた現実が既に、常にサイバーパンクであること、肉体によって実証した人間たちの一人だ。」
幼いころから入退院を繰り返し、医療技術なければ生きていけなかった彼にとって「ポストヒューマンSF」とは空想のテーマでもなんでもなく、現実の事だったのです。
その中で、激しい鬱を経験し、安定剤の投与を経験した伊藤計劃は、安定剤によって感情が簡単に制御されてしまった自身をみて「人間の感情っていったい何なんでしょう。」と語ったそうです。
こういった経験が、のちに『虐殺器官』を生み出したのでしょう。
この言葉はゲーム『メタルギアソリッド ピースウォーカー』のエンディング流れた文章です。
先述した通り、メタルギアシリーズの小島監督と伊藤計劃氏は友人として交流がありました。
2009年、入院生活を送る伊藤計劃に対し小島監督は「伊藤さんに元気になってほしい。生きることを諦めてほしくない。」という思いから、未発表だった『メタルギアソリッド ピースウォーカー』の構想を話します。
『ピースウォーカー』のノベライズも伊藤計劃に依頼する予定でしたが、その約束は果たされることなく彼はこの世を去ります。
この考察はあくまで「私の解釈」でしかありません。
『虐殺の文法』『ジョンがクラヴィスとの会話で潜ませた文法』『クラヴィスの最後の決断』など、物語の中で明確に説明されていない部分は、きっと観た人それぞれの解釈が存在すると思います。
なので、この考察は「1つの可能性」として楽しんでいただければ幸いです。
因みに、小説『虐殺器官』新版最後に載っているインタビューで、作者・伊藤計劃は「爽快感を目指しました(笑)」と言っていますが…ちょっと、よく分からないですね。爽快というには、語り部である主人公があまりにもウジウジしすぎな気がします。たぶん、伊藤先生なりのジョークだったんでしょ
う。
火薬とファンタジーと筋肉が好き。趣味はボディメイク。ポケットに無限大な夢を詰め込んで冒険に出かけたい人生だった。アウトラインギリギリをアクロバティックに疾走したい。