新選組が存在したのは、わずか6年。
その歴史的に見たら一瞬の時間。激動の時代に突如現れ、消えていった男たちの中心人物「土方歳三」。
「ドリフターズ」では主人公たちの敵、ENDSとして現れ、島津豊久(正確には薩摩藩)に非常に強い憎悪を見せる土方歳三。
彼がENDSとして召喚されてしまった理由や、島津との因縁が簡単にわかるよう、史実を交えて解説していきます。
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更新日:2025-1-17
<プロモーション>
新選組が存在したのは、わずか6年。
その歴史的に見たら一瞬の時間。激動の時代に突如現れ、消えていった男たちの中心人物「土方歳三」。
「ドリフターズ」では主人公たちの敵、ENDSとして現れ、島津豊久(正確には薩摩藩)に非常に強い憎悪を見せる土方歳三。
彼がENDSとして召喚されてしまった理由や、島津との因縁が簡単にわかるよう、史実を交えて解説していきます。
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島津豊久vs.土方歳三かっこよき♪♪アニメ続編ないのかな~|:3ミ pic.twitter.com/R4odmPjVp5
— ぐりまるฅ🐱 (@TAKOx9P) January 20, 2022
『ドリフターズ』では、島津豊久たちの敵「ENDS」として登場した土方歳三。
初登場時は同じENDSの黒王派閥の一味として登場するも、途中で自身の未練を思い出し、黒王軍から離反しました。
▼単行本7巻までがなんとなくわかる勢力図
なぜ豊久(薩摩)に恨みを抱いているのか。
土方歳三の悔恨とは何なのか。
歴史の資料で語られる彼の経歴や人物像から、『ドリフターズ』で土方歳三がなぜ黒王を裏切ったのか、簡単に解説していきます。
「俺らの子孫がなにかしでかしてしもうたかの?」
『ドリフターズ』島津豊久のセリフ
その妖怪首おいてけ(島津豊久)の背後に………
— He_La_Tyler featuring ENDz (@tyler_and_EndZ) December 13, 2020
土方歳三「しぃいぃまぁあぁずぅうぅ‼︎」 https://t.co/eSIK9XpaMc pic.twitter.com/GhU1TMBroN
バチクソにやらかしてます。
戊辰戦争が始まる前、元々は旧幕府側だった薩摩藩(藩主・島津久光)ですが、外交問題の会議がほとんど「徳川の意見を押し通す会」だったのを受けて、幕藩体制下での合議制度の限界を感じ、新政府体制が必要だと強く感じました。
なので、旧幕府側を裏切った薩摩藩への恨みは、最初から新政府側だった長州藩と比べて相当根深いものだったでしょう。
とくに、土方は「武士」に憧れ、「武士道」を尊ぶ人だったので、仕える主を変える行いは、彼の美学に反する行いだったのではないでしょうか。
尊厳破壊される近藤勇 |
近藤は下総国(しもうさのくに)で投降し、速攻処刑が決まった。(処刑日:1868年5月17日) その処刑内容や死後は、武士として生き、農民の出ながら旗本の位を与えられていた近藤の尊厳を踏みにじる酷いものだったという。 当時「武士は切腹をさせる」というのがルールだったが、近藤は切腹を許されず、平民の処刑方法・斬首で殺された。しかも処刑場は家畜の死体処理場で、スリ常習犯という軽犯罪者とともに刑は実行されたという。 そして、切られた首はアルコール漬け(防腐処理)され、京都に運ばれ、10日間晒される事になり、元々新選組アンチの多かった京都では替え歌を作られ民衆に嗤い者にされることとなった。 さらに、初夏の暖かな気候でえげつない腐乱死体に仕上がったであろう近藤勇の遺体は紛失し、のちに土方歳三の甥・佐藤俊宣が首級を捜したものの見つからなかったと記録されている。 近藤の遺体は弔うこともされず、京都人の嗤いの種として消費された。 |
近藤勇は投降する前、自害しようと試みていました。
しかしそれに待ったをかけたのが、土方歳三。
その時2人は偽名を使って活動していたので、土方は「他人のふりして捕まってください」と提案。
土方のプランでは、近藤が他人のふりして時間稼ぎしている間に、各所に「助命嘆願」をするつもりでした。
近藤の時間稼ぎは、仲間を逃がすという点では意味がありましたが、結局、顔が割れていたためすぐに処刑されることとなります。
近藤勇が武士としての誇りを踏みにじられて殺されたのは、自分があのとき「自害ではなく投降しましょう」と提案したせいだと…もしかしたらずっと後悔していたかも知れません。
安元洋貴さんの土方歳三かっこいいいい!!#ドリフターズ#drifters#tokyomx pic.twitter.com/Ly2cFbBnKE
— “嘲笑のひよこ” すすき (@susuki_Mk2) December 23, 2016
近藤勇の処刑を撤回するために各所走り回り
仲間たちが絶望して戦いから降りても戦い続けた。
そんな人物が、異世界で未来の日本人から「新選組はすげーんだぞ!」と純度100%の好意をぶつけられたら…。
ドリフターズで、菅野さんが新選組の格好良さを土方さんに語ってたなぁ pic.twitter.com/Dbp9OwL05R
— 寄星蟲 (@kisei64) June 5, 2024
もともとは治安維持組織として自分たちの正義に則って戦っていたのに、旧幕府軍と新政府軍の戦いに巻き込まれてからは、新政府の印象操作によって「人斬り悪党集団」扱いされていた新選組。
まさか未来で自分たちがこんなに愛されているなんて、目から鱗でしょう。
永倉新八によって印象回復 |
元二番組長・永倉新八は、明治維新後の1913年に北海道の「小樽新聞」にて「新撰組 永倉新八」(新編集版「新選組顛末記」)を連載。 ヴィランとされていた新選組の人間味や奮闘は、日本人の性癖に刺さり、現在の新選組のイメージが出来上がった。 |
仲間想いで優しい土方歳三は、盟友たちの献身や頑張りがどんな形であろうと後世で認められていると知れたら、そりゃぁ「原点回帰しよう」と、その憧れを裏切らないよう己を見つめ直すのではないでしょうか。
だからこその、黒王裏切り。
生きていた頃も大きな渦に巻き込まれて苦労したんだから、その悔恨を拭うには黒王軍では駄目ですよね。
武士としての誇りを取り戻すため、今後どう彼が動くのか、続きが楽しみです。
天皇を敬い外国人を打ち払う「尊皇攘夷思想」を持ち、京都で暴れる現行制度から逸脱した存在「不逞浪士」の取り締まりをするために結成される。 |
も、京都の人々から嫌われまくるヤンキー集団。それが新選組。
将軍警護のバイトで集まった浪人を中心に農民・商人など、フリーターたちを集めて結成したのが、新選組の原点。
つまり、あまりお育ちがよろしくはない人たちだったり、血の気の多い人間が多かったのです。
結成当初は非正規組織ゆえに資金難に苦しめられ、当時の局長の一人であった芹沢鴨は豪商から寄付金を募ることにしました。その方法は…。
>>屋 敷 へ 襲 撃<<
芹沢鴨の主導で、寄付を拒否した商人の屋敷に大砲を打ち込み、火をつけ、大勢で母屋に乗り込み一晩中屋敷の中をグチャグチャにしつくしました。
あれ…?「人斬り悪党集団」と言われても仕方ない気が…。 |
この方法は(いちおう)効果覿面で、二の舞いになりたくない商人たちは進んで新選組に寄付金を渡し、新選組の面倒を見ていた会津藩も「うちらの監督責任にされたら困る」と、支援金を増やしたそう。
これだけでも嫌われるには十分な要素でしたが、それだけではなく、新選組が遊郭などで遊ぶようになると、遊びには来るくせに金払いが悪かったため、京都人の新選組への嫌悪感はより強化されていったそうです。
なお、蛮行が目立った芹沢鴨は、結局会津藩からも見限られ、土方に粛清されることとなります。
近藤勇とともに「新選組」を立ち上げ、血の気盛んな侍たちに規律を作るための「局中法度」という鉄の掟を用いて、隊士たちを厳しく指導した鬼の副長。
「局中法度」に背いたかどうかの判断は局長である近藤の判断に委ねられるが、隊のことは近藤により土方に一任されていたので、ほとんど土方によって隊士の生殺与奪は握られていたことになる。
「局中法度」は一部フィクション |
「士道二背牛間敷事」 「局ヲ脱スルヲ不許」 「勝手二金策致不可」 「勝手ニ訴訟取扱不可」 「私ノ闘争ヲ不許」 この5つの項目が「局中法度」と呼ばれるもの。 しかし、永倉新八が後年書いた新聞のエッセイでは「禁令4箇条」と呼ばれる隊規は存在しても、「局中法度」とは呼ばれていなかった。歴史資料の中でも「局中法度」という名称は存在せず、「私闘禁止」の項目もなかった。 実はこの名称と項目、子母澤寛の『新選組始末記』によって加えられたフィクション。 ついでに「禁令4箇条」も、初代局長の3人、芹沢・新見・近藤が決めた(諸説あり)もので、禁令制作に土方は関わっていない。(※結成当初新選組は局長3人制だった) なお、この禁令を作った一人である新見は、組織の資金を着服しており土方によって粛清された。 |
一説では、この禁令によって粛清された隊士の数は40名近くいたという。
そんな厳しい上司としての異名が有名な人物ですが、本質は鬼とは正反対の献身的で優しい人物でした。
将軍警護の募集で集まった浪士組を中心に、農民や商人といった雑多な人たちが集まった集団。それが新選組の始まり。
働く先がなくなった(orない)フリーターたちの寄せ集めなので、まぁ治安はよろしくなかったことでしょう。
そんなフリーターの侍未満たちを、のちに「勇敢な侍」「強靭な軍隊」と言われるまでに育てたのが、憎まれ役を買って出た土方歳三でした。
なお、近藤勇は組織のトップではあるが、隊の運営については土方に丸投げしていたらしいので、実際は土方が隊をまとめ上げる中心人物(頭脳)だったそう。 |
血の気盛んな侍たちなので、放って置けばすぐに烏合の衆と化し、組織の空中分解は必至。
局長・近藤勇のカリスマのもと組織化させるためには、徹底した管理が必要であり、そのために組織のナンバー2である土方は己を犠牲にしてでも「鬼の副長」を演じる必要がありました。
粛清体質な新選組 |
新選組ができた当初は、一枚岩ではなく「近藤派」「芹沢派」「殿内派」の3勢力に分裂していた。(『藩庁記録』より) 殿内派が内ゲバで離脱すると、「近藤派」と「芹沢派」によって粛清。隊の思想に反する殿内派閥の人間を、斬殺・腹切り・毒殺(説)など、様々な方法で粛清していく。 ついでに蛮行が目立った芹沢も、会津藩からの要請で土方により粛清されることとなるし、金を着服した新見も土方に粛清される。 そうした努力の甲斐(?)あって、近藤勇を頭とする、整然とした組織「新選組」が出来上がっていった。 |
汚れ役を行う鬼の副長、この時点でかなり献身的な人物であることがわかります。
函館戦争の頃には、近藤局長は処刑され亡くなっており、戦況不利が濃厚だったせいもあり、各地で戦っていた新選組メンバーも、共闘していた藩が武装解除や降伏をするとともに、戦争から降りる人も続出。事実上崩壊状態でした。
「副長として隊をまとめる責任」から開放された土方は、武人・土方歳三として鬼の仮面を外し、本来の自分をさらけ出すようになります。
というのも、その頃になると土方の周りに残っていたのは、行き場のない年若いお世話係の少年隊士たちばかりでした。
35歳の土方からすると、10代の少年たちは、どちらかというと守り導かねばならない存在であり、必要以上に厳しくする理由もなかったのかもしれません。
だからこそ、残った隊士たちから「子が母親を慕うように」慕われていたのしょう。
函館戦争が新選組にとって負け戦だったのは誰の目から見ても明らかで、土方は将来のある若者の命をここで散らすのは惜しいと、逃げるあてのある少年にはメッセンジャーの仕事を与えて江戸へ逃がしました。
それが、市村鉄之助と渡辺市造。
市村鉄之助は漫画の主人公にもなっていたので、結構有名かもしれませんね。
▼市村鉄之助が主人公の漫画「新撰組異聞 PEACE MAKER」
土方歳三の辞世の句 |
「たとひ身は蝦夷の島根に朽ちるとも魂は東の君やまもらむ」 この辞世の句は、小姓だった市村鉄之介を蝦夷から脱出させるときに、遺品とともに持たせた句です。 実姉の嫁ぎ先に届けさせたこの句の意味は色々と解釈の仕方があるかと思いますが、たぶんほとんどの人が共通して思うのは「侍としての覚悟」すよね。 それから、親族宛と考えると「その信念に殉じて死ぬこと(または賊軍となってしまったことの)の申し訳無さ」というのも、読み取れる気がします。 自分に最後までついてきてくれた少年たちや、離れた家族を思いやる心がある人。それが土方歳三だったのです。 |
苦しい戦いのさなかでも、少しの希望を掴もうと奔走するも、最期に得たのは「武士としての死」のみだった土方歳三の戦い。
1868年3月上旬、近藤勇率いる「甲陽鎮撫隊」が敗残し、下総国(しもうさのくに)で捕えられ(投降し)、処刑が決まった。(処刑日:1868年5月17日)
近藤勇の最期 |
「ただ一死をもって恩義に報いる」 近藤勇は(おそらく)会津に向かう途中、新政府軍に包囲される。 このとき、近藤勇は自害するつもりでいたが、偽名を使っていたので土方歳三から「わずかでも生き残る道を模索するべき。」と、別人を装っての投降を勧められ、戦うことなく自ら捕まった。 結局、処刑を回避することは叶わなかったが、自ら捕まることで仲間の逃走の時間稼ぎはできた。 |
土方は近藤の助命嘆願に奔走するも、同年4月11日、江戸城が新幕府軍によって無血開城されてしまい、土方ら新選組は旧幕府軍2000名と合流し、宇都宮城攻略に向けて動くしかなくなります。
宇都宮城攻略にあたり、会津藩に援軍の要請もしなくてはなりません。
そして、宇都宮城攻略のための大事な作戦会議の場で、参謀役を任されたのが「機智勇略兼ね備えた人物」と言われた土方でした。
フリーター侍の集まりから始まった新選組の副長という立場から、実質旧幕府軍の参謀となったのですから、旧幕府軍内での彼の評価がどれほど高かったかが伺えますね。
地形の調査、援軍の要請、事前の入念な準備により、宇都宮城はたった一日で攻略しました。
味方の敗走で水の泡 |
でも結局、壬生城攻略に向かった味方が敗走して宇都宮城に戻ってきたせいで、壬生方面から大量の新政府軍が押し寄せて、宇都宮城は奪還されるし、土方は足を負傷してしまうしで、総合的に見たら負けという結果に…。 |
宇都宮城の戦いにて負傷した土方は会津戦争には参加せず、新選組のことは「会津を見捨てることはできない」と残ることを決めた斎藤一に任せ、援軍要請に奔走することになります。
が
米沢藩に断られ、
庄内藩は戦意喪失で新政府軍に下り、
仙台藩に向かうもそこでも援軍を断られ、
さらに仙台藩からは新政府軍側に鞍替えする手土産として、土方は攻撃されることになります。
仙台藩の所感 |
「榎本、胆気愛すべし。しかれども順逆を知らず。維新の皇業に大害をあたえん。土方にいたりては斗筲の小人、論ずるにあたらず。」 意訳:榎本は侠気好きすぎて道理を知らねぇから、こいつを勝たせたらアカン。土方は語る必要もなくリーダーの器じゃねぇ。 土方のもとに集まった旧幕府側の人間たちは、仙台藩の助力を得ようと説得を試みます。 しかし、有力藩だった米沢藩が降伏し、会津の鶴ヶ城も陥落確実となっていたため、仙台藩首脳陣はこれ以上戦いを続ける気がまったくありませんでした。 ついでにこの説得の際、土方を同盟軍の総帥にと推挙する発言(脅し)もあったため、もともと「局中法度違反者の粛清の実行者」として良い印象の持たれていなかった土方は、更に嫌われ、仙台藩首脳陣から上記のボロクソ発言をされてしまいます。 |
幸い、仙台湾にいた榎本武揚率いる海軍・榎本艦隊が威嚇射撃をしてくれたおかげで、土方が仙台藩に殺されることはありませんでした。
近藤勇が投降して時間稼ぎしている間に、自分が外からなんとかするつもりだったものの失敗。 宇都宮城を一日で陥落させるも、味方が壬生方面を抑えることができず新政府軍の進軍を許し敗北。 斎藤一が会津で戦っているのを助けようと、各地を走り回るも、援軍要請はすべて断られるわ、攻撃されるわで収穫なし。 こんなに必死で奔走するも、土方ができたことは殆どなかった。 |
その後、土方と榎本艦隊は、旧幕府軍と合流し最期の地、函館へ向かうことになります。
このとき、土方は会津で戦う斎藤一を見捨てたのではなく、榎本武揚率いる海軍に勝機を見出していたとされています。
そのため、海のない会津ではなく、函館で迎え撃つという戦略を立てていたというのが、多く見られる見解であり、決して土方と斎藤一は喧嘩別れしたわけではないとのこと。
沖田総司が病で亡くなり、
近藤勇は処刑され、
斎藤一は会津藩の降伏とともに戦いを降り、
永倉新八もこのころ戦いを止め、
そして多くの同盟者たちが武装解除していった。
かつて共に戦った盟友たちはすでに戦いから退くも、それでも土方は戦い続けました。
どうせ死ぬなら戦場で |
「戦い続けた」というか、土方歳三は「戦うしかなかった」の方が正しいでしょう。 新選組を実質まとめていたのは土方で、近藤勇が武士として切腹も許されず斬首(武士は切腹、平民は斬首というルールが当時あった)にされ、その首を衆人に晒されるという屈辱的な死を思えば、土方も降伏すれば同じ道をたどるのは容易に想像できます。 武士道を重んじる土方には、もう戦場での死しか選択肢はなかったように思えます。 |
「二股口の戦い」で激戦を繰り広げるも、戦況は厳しく後退。つぎに五稜郭を主戦場とする函館湾での海戦に移ります。
そこで土方は一本木関門で敵陣に突撃するも、被弾して命を落とすこととなります。享年35歳でした。
その後、戊辰戦争は明治2年5月18日に、榎本武揚が五稜郭で降伏宣言したことで幕を閉じました。
「歳三という男。部屋に入ると清らかな風が吹くような、そんなさわやかな人物であった。」
榎本武揚『入室伹清風』より
まゆたん「イケメンには必ず謎の風が吹いてる」
— 睦月 (@mousyun) March 4, 2018
バーフバリを見た私「なるほど」 pic.twitter.com/R51bMounw3
凄いぞ、少女漫画の「イケメンが登場するときの謎の風」概念はすでにこの頃から存在していたんだ…!
そんな同性も認めるイケメン土方歳三の、プライベートに纏わるエピソード。
※事実確認が取れず、逸話の域を出ないお話
土方歳三は裕福な農家出身ですが、末っ子のため家を継ぐことはできず、11歳のときに初めて商家へ奉公に出されることとなります。
この時代、どんなに裕福な農家だろうと、畑を分け与えて下の子を独立させることはなかった。 畑の減少は収益の減少であり、畑を分けることは家を零細化させる愚かな行為として避けられていたのだ。 現代視点からすると非情に思えるかも知れないが、仮に労働力として実家に縛り付けてしまうと、自由に所帯を持つ事もできず、奴隷の如き扱いのまま人生を過ごすこととなるので、奉公に出すことはむしろ親心だったと言える。 |
14歳から24歳までを江戸で奉公しており、そのときに女中から迫られて関係をもったり、同性の番頭(上役)からケツを狙われていたと言われています。
しかし、この出来事を確認できる資料はなく、伝説の域は出ません。
歳三は11歳のとき初めて行った丁稚奉公先でゲンコツをくらい、
(なお土方の親父は、土方が生まれる前に亡くなっている)
拗ねて飛び出て実家に帰ってきてしまうくらいにはプライドの高い男だったので、思春期男児的に、年上女性や同性から「可愛い可愛い」されるのは、逸話が本当なら不本意だった…かもしれない。
衆道が流行り風紀が乱れる新選組 |
「局中、しきりに男色流行仕り候」 子母澤寛が史実に則り描いた小説『新選組物語』に、16歳美少年隊士に惚れた副長助勤・武田観柳斎が、少年のケツを追い回し問題になり、土方歳三によって美少年が除隊されたというエピソードが載っている。 実際、新選組では度々こういった男色騒動が起こっていたらしく、近藤勇が中島次郎兵衛にあてた手紙で「局内でゲイが大量発生中です」と書いていたのが残っている。 ちなみに、このエピソードをネタに作られた小説もある。(『新選組血風録』) |
京都の商人や芸者から嫌われまくった新選組でしたが、土方はモテモテだったらしい。
大都会京都の女たちにモテモテだったのが相当嬉しかったのか、故郷へ当てた手紙にも、「モテすぎて困っちゃうな~」といった内容の手紙を送っていたという記録も残っています。
京にては嶋原花君太夫、天神一之、祇園にてはいわゆる芸子三人ほどこれあり、北野にては君菊、小楽と申しそうろう舞子、大坂新町にては若鶴太夫、ほか二、三人もこれあり、北の新地にてはたくさんにて筆にては尽くしがたくーー
土方歳三の故郷へ当てた手紙より
「元気でやってるよ」という気持ちを伝えるユーモアだったかもしれませんが、芸者から送られてきたラブレターを丁寧に保管し冊子にしてしまう(『婦人恋文』)くらいには、嬉しかった模様。
キャバ嬢の営業メールに浮かれる歳三 |
さて、ここからは芸者視点のお話。 新選組は粗暴な人たちが多く、お店に遊びに来ても金払いが悪かったため、京都の人々からとても嫌われていました。 そんなヤンキー連中のまとめ役で、篤実でロマンティストで初心な歳三は、新選組の中では「比較的マシ」と思われていたかもしれません。 そもそも、現代のキャバ嬢と同じく、芸者のメールなど基本「今日はありがとう、とっても楽しかった♡また来てね♡」という営業メール。 それに浮かれて俳句を詠んで、モテすぎて困っちゃうぜ…なんてのぼせる歳三は、芸者たちの良いカモだった可能性は高い。 |
上の動画で登場する「君菊」という舞妓は実在した人物で、実際に土方歳三の子を生んでいたといいます。
舞妓とは、芸妓になる前の10代の少女のことを指します。 歳三が京都へ出てきたのは28歳ごろ。現代では15歳からと決められている舞妓さんですが、当時は10歳の舞妓さんもいたそうですね。 なんと歳三、もしかしたら10歳は離れている女子からのラブレター(営業メール)に浮かれていた可能性が…。 |
しかし、生まれた女の子は幼くして亡くなっており、土方が京都を離れてから、君菊は他の男性の元へ嫁いでいったらしい。
武士になりたいという夢を抱えて江戸で奉公している10代~20代半ばのころ、土方歳三の趣味はもっぱら俳句(発句)を詠むことでした。「豊玉」というペンネームまで作っていました。
沖田総司に「下手だな~」と言われ、現代でもセンスないといじられ、ブックカバーにされるほど擦られ続ける土方歳三の俳句。
実は京都行く前に詠んだきりらしいので、ガチのマジで現代で言う「思春期特有のアレ」的なやつかもしれないという事実…。そんな詩がブックカバーに…??
現代人で俳句なんて知らない私には、土方歳三のセンスの無さはいまいちピンときませんが、きっと「翼ひろげて夢を掴め」くらいのセンスを、当時の人は感じていたのかも知れません。 |
ちなみに、土方歳三の俳句をまとめた『豊玉発句集』の一部は、甥・佐藤俊宣が若い頃詠んだ句が土方の物と間違って伝えられたという異説もある。
「センスあるやつ混じってるから、たぶんこれ土方じゃない」
原作 |
平野耕太 (YOUNGKINGOURS連載中) |
監督 |
鈴木健一 (「はたらく細胞」ほか) |
制作 |
HOODSDRIFTERSSTUDIO (「聖痕のクェイサー」ほか) |
OP |
MINUTES TIL MIDNIGHT 「Gospel Of The Throttle 狂奔REMIX ver.」 |
ED |
黒崎真音「VERMILLION」 |
キャラ/声優 |
島津豊久/中村悠一 織田信長/内田直哉 那須与一/斎賀みつき 菅野 直/鈴木達央 ハンニバル/青山穣 スキピオ/家中宏 ブッチ/小野大輔 キッド/高木渉 安倍晴明/櫻井孝宏 オルミーヌ/古城門志帆 カフェト/西田雅一 源九郎判官義経/石田彰 黒王/楠大典 ジャンヌ・ダルク/皆川純子 ジルドレ/乃村健次 アナスタシア・ニコラエヴァ・ロマノヴァ/北西純子 ラスプーチン/田中正彦 土方歳三/安元洋貴 紫/宮本充 EASY/伊藤かな恵 シャラ/間島淳司 マルク/続木友子 マーシャ/石塚さより |
DMM TVサービス概要 |
|
月額料金 |
550円(税込) |
総配信数 |
約19万本 |
無料トライアル |
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アニメに強い 高コスパVOD |
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アニメ作品の配信に力を入れているほか、芸人たちが過酷なロケに挑むバラエティ『大脱出』や、人気漫画を原作とするドラマ『ケンシロウによろしく』など、ここでしか見ることのできない魅力的なオリジナル作品の配信も充実。
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新選組で鬼の副長してたと思えば、京都の芸者たちのラブレター(営業メール)に浮かれて恋の歌を詠む可愛い人。それが、土方歳三。
ロマンティストで、武士道に強く憧れて、理想に殉じた、そんな男の異世界での今後の活躍が気になるところです。8巻はいつですか。
火薬とファンタジーと筋肉が好き。趣味はボディメイク。ポケットに無限大な夢を詰め込んで冒険に出かけたい人生だった。アウトラインギリギリをアクロバティックに疾走したい。