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【ドリフターズ】撃墜王「菅野デストロイヤー直」のぶっ飛び伝説集

オっさん

更新日:2024-12-2

ドリフターズ_菅野直_サムネ

<プロモーション>

『ドリフターズ』のイカレ日本人担当その2・菅野直!

そのぶっ飛んだキャラクター性はとても作品映えした良いキャラクターだが、実はこれ、史実です。

 

ドリフターズでの菅野直

・未開の地に落ちて神扱い

・自分の戦闘機を使い捨ての鈍器扱い

・目上の人を殴る蹴る

・なんやかんや部下に慕われる

 

異世界でもこんなに好き勝手動き回っている菅野直、驚くことに全く脚色されていません。

そんなぶっ飛び日本人・菅野直の伝説を解説していきます。

 

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【ドリフターズ】菅野直の活躍まとめ

 

初登場1巻

人間国家、カルナデス王国の北方カルネアデス国境要塞が黒王軍に攻め込まれている最中の上空に転移してくる。

 

黒王の進軍に気づいていた安倍晴明がハンニバル・スキピオ・ワイルドバンチ盗賊団の二人を連れて、防衛のため指揮権を譲渡してもらおうとするも交渉決裂。

黒王軍の進行を許してしまい、カルナデス王国脱出に舵を切るも、翼竜の襲撃にあい絶体絶命のピンチ。そこに現れる紫電改に乗った菅野直。

 

図らずとも安倍晴明らの逃亡を手助けするというファインプレーを見せる。

 

獣人の村に墜落して神になる3~4巻

森にある犬人の集落に墜落し、空から落ちてきた菅野直は彼ら犬人から「空神さま」と崇められることとなる。

 

安倍晴明の通訳の御札がないので言葉は一切通じないはずだが、なぜだか問題なく元気にバカヤロウコノヤロウと鳴いている。

 

そこに安倍晴明とはぐれたスキピオが運命の合流を果たす。

スキピオの合流によって言葉が通じるようになったためか、犬人猫人とともにオルテ帝国と戦争を始めてしまう菅野直。戦略はよくわからないので、全部スキピオ任せ。

 

大人しかった犬人猫人が急に攻めてきたので、オルテにいるサンジェルマン伯爵から「黒王のしわざ??」と疑われた。すみません、日本人が…。

 

怖いけど慕われる菅野5巻

そんなこんなで、同じ日本人でグ=ビンネン通商ギルド連合にいる山口多聞と合流する頃には、菅野直のもとに仲の悪い犬人と猫人がまとまり、何故か菅野直の部下としてこき使われる事になっていた。なんか黒王とやってること似てるわねアナタ。

 

バカヤロウコノヤロウと鳴く菅野に、犬人は「空神さまおっかねー…」と恐れながらも、ぐーたら大好き猫人はやる気のない顔しながらも、ちゃんと菅野の言うことを聞いて働いているのを見ると、意外と慕われていることが伺える。

 

菅野、大名殴る7巻

黒王軍参謀役の明智光秀の策略にまんまと嵌められピンチに陥る島津豊久率いるドリフターズ。

そんな中、ノラクロ軍団(犬猫人軍団)を連れて空から救援に来た菅野直。

 

すぐ命捨てがまる主人公豊久をぶん殴り、壊れた戦闘機の代わりに黒王軍の飛竜を強奪し、戦線離脱。

 

たった7巻で作品の主人公が消えるという事態を防いだ功労者。

…が、助けられておいて感謝の言葉もない豊久に対して踵落としを決める菅野。やめて主人公死んじゃう。

 

いままで蚊帳の外だった菅野直&山口多聞と島津豊久が合流し、本格的にドリフターズが連動し始めた7巻。

菅野直の今後の活躍が楽しみですね。

 

【史実】菅野直プロフィール|戦闘301飛行隊「新選組」隊長

出身地

宮城県角田市(現名称)

出生時は父赴任先の朝鮮

中等学校

角田中学校

上級学校

海軍兵学校

(現:海上自衛隊幹部候補生学校)

家族構成

父、母、姉、兄、妹1、妹2

推し文豪

石川啄木

趣味

ポエム、将棋

 

敵機計72機撃ち落としたエースパイロット。

なお、この撃墜数には日本機にとって強敵だった「コンソリデーテッドB24」や「ボーイングB29」といった重爆撃機も含まれる

 

ボーイングB29

プラモ_ボーイングB29

 

アトランティスモデル 1/120 アメリカ軍 B-29 スーパーフォートレス

 

海軍大尉。(死後二階級特進によって中佐)

太平洋戦争末期に、最新鋭の戦闘機「紫電改」を与えられ編成された部隊「第343海軍航空隊」、通称「剣(つるぎ)部隊」の三個戦闘機隊指揮官の一人。

 

自ら先頭に立つタイプの指揮官であり、その姿勢から彼の部隊は他の隊と比べて常に士気が高かったとされている。

 

公正無私ナル人格ヲ以テ隊員ヲ統率、隊員ノ尊敬腹心ヲ一心ニ集メ一死団結猛訓練ニ従事シ、後日戦ヘバ必ズ大戦果ヲ挙グルノ協力無比ナル飛行隊ヲ育成セリ。

 

昭和20年8月1日未帰還。わずか23歳という若さでその生涯を終えた。

 

びっくりハイブリット

父は貧乏な農家から独学で警察になり、所長にまで上り詰めた。

母はいいところのお嬢さんで、当時珍しかった専門職。


この母に父とのお見合い話が来たとき、当時父はまだ朝鮮にて仕事をしていたが、母は「サラリーマンって給料良さそうね」と写真すら見ず二つ返事で頷き、宮城から朝鮮に飛んだらしい。


菅野直は、勤勉で努力家なところは父に似て、思い切りの良さと苛烈さは母に似た、「勉強できるやんちゃ坊主」という、まさにこの両親にしてこのガキありといった人間だった。

 

菅野直ってどんな人?|イケメンぶっとびエピソード集

菅野直のイケメンエピソードは、クソ上司とともに―――

 

「やることが奇抜で、我々の想像もつかないことをやった。

ケンカをすれば絶対負けなかったし、

修身とか操行の点はあまり良くなかったが、人気は絶大だった。」

 

『最後の撃墜王』より宍戸甲一のコメント

 

ここでは戦果とはあまり関係ない、日常での菅野直ぶっ飛びエピソードをご紹介。

 

家族大好きガキ大将(ただし文学少年)

 ●厳格な母と跳ねっ返り直&末妹

●菅野、文学サークル作る

ガキ大将に知能を与えた存在、それが菅野直

●海軍学校でも変わらぬクソガキ

●実はそれほど脳筋ではない?

納得いかないならば教師上司関係なく全部拳で

●着陸場所間違え事件

●特攻隊、最後の晩餐事件

●菅野、上官に拳銃ぶっぱ事件

訓練で戦闘機壊し、ついたあだ名が「菅野デストロイヤー」

⑥輸送機が墜落、原住民に「あいむプリンス」発言で歓迎される

 

①家族大好きガキ大将(ただし文学少年)

 

●優秀な兄と、姉の添い寝

兄は弟・直とは性格が真逆ではあるが、直は優しくて優秀な兄を尊敬しており、一応兄弟同士の関係は良好だった。

母の関心は兄にばかり向き、学校の教師からも「あの優秀な巌の弟」と色眼鏡で見られていたため、複雑な心境もあったが、一応、兄弟間は良好だった。

 

しかし、それ故に母への跳ねっ返り(親に関心を向けられたいタイプの)は、兄弟の中でも強かった。

 

そんな母の関心が長男に向けられる寂しさを埋めてくれたのは7歳離れた長女のかほりであり、彼女が20歳で嫁いで家を出るまで、直は姉と添い寝していた。

 

厳格な母と跳ねっ返り直&末妹

母親は厳格でルールや作法に厳しい人だったため、社交性というものは些か欠如しており、近所付き合いに失敗し遠巻きにされていた。

 

しかし、母親に似た苛烈さを持った末妹と直は、そんな母を反面教師にしてとても社交性に富んでいた。

 

末妹曰く

「母の生き方は堅っ苦しくて窮屈でやってらんねー」

とのことで、直はそんな自分に感性の近い末妹をことさら可愛がり、雨の日に末妹の友達が遊びに来ると、家の戸を前回にして鬼ごっこをしてあげたという。

 

母には怒られた。

 

妹のお願いなら

家計を圧迫させないため、兄を大学に通わせるため、菅野直は自ら日本海軍の海軍兵学校に自ら志願した。陸軍士官学校は尿検査で引っかかった。

 

ざっくり情勢

菅野直が中学時代の情勢は、世界恐慌によって不景気が続き、「盧溝橋事件(盧溝橋で日中両軍が衝突し日中戦争が本格化する始まりの事件)」によって国内は本格的な戦時体制に移行していた。

 

海軍の航空隊に所属した直は、普段はパラオで防空任務にあたっていたが、飛行機を整備・空輸するため内地に戻ってきていたタイミングで、母と上の妹・志げ子が会いに来た。


志げ子は「せっかくなら兄さんが飛んでるところ見たい」とお願いするも、さすがの直も規律を破って零戦を飛ばすことには抵抗があったことと、単純にガチで忙しかったため、そのとき妹のお願いを聞くことはなかった。

 

しかし翌日、母と妹が帰りの汽車に乗っているとき、爆音とともに一機の零戦が飛んできて、宙返りやいろいろな技を見せて、最後には顔が見えるほど低空まで寄ってきて、手を降って去っていったという。

 

菅野、文学サークル作る

少年時代・学生時代は石川啄木に親近感を抱き傾倒し、文学サークルを作ったり、新聞の歌壇(詩投稿企画)に何通も投稿したり、日記に短歌124首・詩10篇ほどを残したりと、かなりの文学少年だった。

 

大人になったあと、友人が研究職についたことを「いいなぁ。」と羨んでいたそうなので、文学の道も考えなかったわけではないだろう。

しかし、家計と優しい兄を想って自ら戦争の道を選んだのだから、とても家族思いで愛情深い人だ。

 

…まぁ、現代の子供が戦隊ごっこをするように、当時小学生だった菅野直は戦争ごっこをいろいろ小道具まで作って遊んでいたくらいですから、軍人というものに全く憧れがなかったと言ったら嘘になるのかもしれない。

 

彼の推し文豪、石川啄木も軍人に憧れていたらしいので。

菅野直_石川啄木

 

「石川啄木は軍服のかっこよさに憧れたらしい!わかるぜ!軍服かっけーよな!」

 

兄を思う気持ちもあったかもしれないが、こんな思考もあったかもしれない。

 

②ガキ大将に知能を与えた存在、それが菅野直

 

海兵学校のシステムでは、毎年1年生(新入生)~4年生(最高学年)の混合する分隊(グループ)を作り、上級生の厳しい指導(監視)のもと生活していく。

 

そのため当時海兵学校の一部では各学年をこう呼んでいた。

 

「鬼の1号(4年生)、むっつり2号(3年生)、おふくろ3号(2年生)、ガキ4号(1年生)」

 

最高学年が1年生に超絶厳しく、そのフォローに1年生と心理的距離の近い2年生が動き、3年生は我関せず気楽そう。

 

そんな感じで上級生からの監視の目があり、規律に厳しい軍学校では、さすがの菅野も大人しく…?

 

海兵学校でも変わらぬクソガキ

4年生からの監視の目がなくなってクソガキ根性が開放されたとされているが、菅野は1年生のときから居眠り常習犯だったようなので、監視されててもそんなにクソガキ度は変わらなかった模様

 

なお、座学(自習室)での居眠りはある程度許容されていたらしいが、それでも菅野はよく注意を受けていたらしい。

 

菅野が居眠り常習犯過ぎて見かねたのか、それともクソガキ過ぎて目の敵にされていたのか、真相は不明。

 

菅野とは関係ないが、教員が下士官の場合、生徒よりも位が下になってしまうという、不思議な現象が起こる。(入学すると一等兵曹になるため)


そうなると、軍の規律において上官に命令などできないので、教員は「ついてこい」ではなく「ついてくる」と、命令にならないように変な日本語で生徒に指示を出していた。


この変な日本語をいじらない生徒はいない。友人同士で話すときふざけて真似する生徒も多かったという。


菅野とは関係ないが。

 

親近感

「撃墜王」の名で知られるクソ度胸の漢・菅野直。

しかし、受験の合否を待つ間の心境は現代の子どもたちを変わらないようで、日記の中であまり触れられていない(気にしないように普段通りにしているらしい)ものの、ひとことだけ「頭が痛い気がする」と、合否の不安を思わせるような一文が綴られていた。

 

実はそれほど脳筋ではない?

中学時代は入試1位の成績で入学し、卒業も成績1位で卒業したくらい、勤勉で優秀な生徒。

 

いつも彼と遊んでいる友達は

 


「いつも俺等と遊んでるのにいつ勉強してんだ?」


「やっぱ天才は勉強しなくても良い成績とれんべ。」

 

と噂していたが、そんなことはなく。

 

他の友人が遊び疲れて寝てしまうところ、彼は深夜2~3時まで起きて勉強していた

 

ちなみに、そんな成績優秀でコミュ強でスクールカースト上位にいた菅野直だが、やっかみもないわけではなく、文学に傾倒していたことから、現代の言葉でいう「陰キャ」「ガリ勉」(当時の言葉で”軟派”)と周りから揶揄されたりもした。

 

彼の中学時代を知る文学仲間のコメントでも

 


「戦争の話に聞く苛烈さは中学校での印象とは異なる」


「文学少年で、石川啄木ヲタク。めっちゃ石川啄木語ってた。」

 

菅野直_軍学校

 

というような内容が残っており、『ドリフターズ』で描かれているような過激な性格は、戦争時の過酷な状況故に際立ってしまっただけの、菅野直の一側面でしかないのでしょう。

 

ざっくり情勢②

菅野直が海軍兵学校にいた昭和15年夏~16年秋の間の情勢。


昭和15年初頭に「日米通商航海条約」の失効を皮切りに、中国を巡る日本とアメリカの関係はどんどん悪くなっていく。


さすがにアメリカを相手にしたくない日本は、なんとか関係を修復しようと「大東亜新秩序建設(日中戦争早く終わらせてぇ計画)」を掲げるも、「北部仏印進駐(アメリカが中国を援助するルートの遮断)」や、「日独伊三国同盟」「日ソ中立条約」などが原因で修復不可能なほど関係は悪化した。


ついでに「アメリカだめならドイツに頼もう」戦略は「独ソ開戦」により泡となって消え、物資も足りない、同盟国は物理的距離が遠くて援助が期待できない、といった、明らかに勝ち目の薄い戦いに身を投じることとなっていく。

 

③納得いかないならば教師上司関係なく全部拳で

教師袋叩き事件

尊敬する教師に対して、別の教師が悪口を言っていたので、袋叩きにした。

当時学校の権威が強かったあの頃では珍しく、数日の停学処分という軽い罰で終わった。

 

着陸場所間違え事件

菅野直が部下とともに内地から新しい戦闘機をフィリピンへ空輸したときの話。

間違えて本来とは違う場所に着陸してしまった菅野直は、現場の司令に嫌味やら文句やら言われてしまったので、仕返しに飛び立つ前、飛行機の尻を嫌味司令のテントに向けてエンジン全開。嫌味司令のテントを吹き飛ばして去っていった。

 

ヤップ島

 

特攻隊、最後の晩餐事件

フィリピンで特攻作戦が本格的に導入され始めた頃。

明日の我が身も不確かな隊員たちは心がすさみ、毎晩酒を飲んで仲間と語らい、心を慰めていた。

 

といっても、しんみりしたような飲み方ではなく「ウェーイ!どうせ死ぬなら楽しんでこーぜ!」といった感じだったのでしょう。

 

毎晩そんな繰り返しだったので、とうとう司令部が耐えきれなくなり

「搭乗員の声がうるさくて眠れないから黙らせろ」

と文句を言いに来た。

 

菅野がコレを無視して騒いでも再三文句をいってくるので

「うるせぇ!明日の命もわからん搭乗員に文句言うな!」

と逆に言い返した。

それ以降、司令部の人は文句を言いに来なくなった。

 

ちなみに似たようなことはもう一度あり、やっぱり文句を言ってきたお偉いさんに怒鳴り返したが、勢いよく部屋の扉を開け放ったら相手が左官クラスのガチお偉いさんだったので「さすがにやばかったか…?」とヒヤヒヤしたらしい。

でもしっかり文句は言いに行った。さすが菅野。

 

菅野、上官に拳銃ぶっぱ事件

午前3時、雲が多い夜に紛れた特攻隊の出撃。

特攻隊の出撃には、実は特攻隊だけではなく、戦果を確認するための直掩機(直接掩護の略)を連れて出撃する。

 

直掩として、特攻隊の最期を見届ける役目を負った菅野。

 

菅野はこの任務を受けるとき、自分やほかの直掩担当たちにパラシュートを装備することを禁止した。

自分たちも特攻隊とともに行く仲間として命をかける覚悟を示したのだ。

こういった配慮により、菅野の部隊は常に士気が高かったという。

 

視界が悪いなか、特攻機とともに降下し、着弾の確認をして帰投した菅野たちを待っていたのは「暗闇で着陸位置を示すカンテラつけたら敵が来るだろ」と、真っ暗なままにされた飛行場。


そんな危険な奇襲と夜間着陸を終えて報告をした菅野に、報告を受けた飛行長は「最後まで戦果を見届けずに帰るなんて…」と、苦言を呈した。

 

ただでさえ危険な夜間特攻にカンテラのない飛行場。

着弾を確認するのだけでも一苦労で、下手したら帰還時の着陸に失敗して死ぬ可能性もあった菅野たちはそんな任務から帰ってきたのに、この言い草。

 

なので、飛行長の言動に怒った菅野は、腰から拳銃を抜き、床に向けて発砲。飛行長を黙らせた。

 

鬼畜隊長「中島正」

神風特攻隊を指揮した「中島正」ら指揮官達は、自分達は特攻も直掩もせず戦後ものうのうと暮らし、本を執筆し特攻行為を美化してお金儲けしている。(『神風特別攻撃部隊の記録』著:中島正)


他にも無意味な戦果の望めない作戦に物申した大尉に対して「特攻の目的は戦果ではない、死ぬ事だ」とのたまい、無意味に部下の命を散らせたらしい外道。


余談も余談だが、当時士官を育成する兵学校の選考基準には「学力」「健康」の他に「ブサイクでないこと」があった

正直、”イケメンのクズ上司”と、”ブサイクの真人間上司”だったら、ブサイクが良い。

 

④訓練で無茶な戦法、戦闘機壊し、ついたあだ名が「菅野デストロイヤー」

菅野デストロイヤー

 

海軍学校の授業過程を終え、ついに航空隊に訓練生として配属された菅野直。

 

しかし、未来では「撃墜王」の異名が付けられた菅野直も、訓練生時代はペーペーの新人。当たり前に技量で教官に劣るため、演習訓練で負けが込む。


勤勉で努力家な菅野直は頭を捻らせ、「技量で勝てないなら、戦術と度胸で勝つ」と、衝突ギリギリの危険な戦法を編み出した。

 

菅野デストロイヤー

 

菅野デストロイヤー

 

教官から「訓練で危険行為はやめろ。」と怒られるも、

「実戦で役に立たないマニュアル戦法学んでも意味ねーや(鼻ホジ)」

と菅野の心には響かなかった。


勝つためになりふり構わない努力と度胸の化身・菅野直。ここから、「菅野直、戦闘機を鈍器にし過ぎ」伝説が始まった

 

ざっくり情勢③

ミッドウェーで負けた日本軍は、空母も搭乗員が大量消失。

ついでに戦線を広げすぎていろいろ手が回らない。


なので早急に機体と人員の補充をしなければならないが、人員確保するにも機体不足だけでなく教員不足に加え、燃料不足で機体を飛ばすことすら制限がいる状態、かつ、戦火が迫っているので教育課程を繰り上げての実習


極限状態の中では、菅野直のような「最大限性能を発揮して、最短で習得する」という行動は合理的ではあったかもしれない。でもいくら訓練用の旧型戦闘機とはいえ、あまり機体を無駄遣いしてはいけない…。

 

●「機体の性能を100%出す」というやらかし

・訓練空域を飛び出し「エンジン全開にして時間内に帰ればバレねぇ」

・空戦訓練の射撃訓練で標的に超接近「近づけば弾は当たる」

 

実戦であれば褒められた機転も、訓練ではただの問題児。

 

他にも、着陸危険区域(着陸禁止場所)に無理矢理着陸しようとして、機体をひっくり返している。

周りが「午後は葬儀で潰れたな…」と思っているなか、無事脱出した菅野はゲラゲラ笑いながら登場したという。

 

着陸失敗大炎上で負った菅野の傷は、たんこぶ一つ。


そんな危険な飛行訓練を続けていれば機体も無事ではなく(むしろ菅野は何故無事なんだ…?)着陸事故を何度も起こし、最終的に訓練生時代に戦闘機を5機壊す。ついたあだ名は「菅野デストロイヤー」。

 

⑤隊長だが前線で戦い、仲間想いで部下に慕われていた

部下も破天荒な狂人でクセ強ばかりだったが、菅野直に心酔し、常に士気が高かったという。

 

●空輸中に不時着した部下

訓練を卒業し、初めて配属された部隊で分隊長を任された菅野。

 

編成されたばかりの新しい航空隊に配属された菅野の部隊は、菅野も含め訓練過程を卒業してからそんなに経っていない若輩者が集まった部隊だった。

 

そんな感じなので、木更津からヤップ島(しかも3往復)という長距離空輸中に4機がはぐれて別の島に不時着してしまった。

 

 

菅野はぐれた部下を迎えに行こうとすると、部下の小林中尉から「何人か連れて行ったらどうです?」と言われるも「列機がいたら見張りの邪魔になるだろ」と、一人で危険な夜間飛行を行った。

 

「ロクでもない指揮官も少なくなかったが、菅野さんは稀に見る立派な指揮官だなと思った」

 

『最後の撃墜王』より小林中尉のコメント

 

⑥輸送機が墜落、原住民に「あいむプリンス」発言で歓迎される

セブからマバラカットに向けて輸送機に搭乗したときの、嘘のような話。

 

もう少しでマニラだというところで敵戦闘機と会敵。

輸送機は非武装だったので迎撃することもできず、良いように攻撃され、輸送機の操縦士が「もうだめです!」と覚悟を決めたところ、

 

「どけ!俺がやる」

「あんた輸送機操縦したことあるんすか!?」

「ない!」

 

と、菅野が操縦桿を奪い、輸送機で戦闘機さながらのアクロバティックを披露し、よろよろと不時着。

 

なんとか生還するも、不時着したのは、言葉もよくわからない原住民がいる島。

 

救出されるまで何日か原住民のお世話になったというが、なんとその時、菅野は自らのことを『日本のプリンス・カンノ』の自己紹介して、超お客様待遇を受けていたらしい。

 

ドリフターズでも…

犬人たちに「空神さま」と神輿に担がれていましたね。あれ、まったく脚色されていなかったらしい。

 

「撃墜王」と呼ばれた菅野直の戦績|戦闘ぶっとびエピソード集

 

「彼の周囲は常に明るい笑いがあり、

その中心にいつも彼がいたという感じでした。」

 

『最後の撃墜王』より光本卓雄のコメント

 

パラオにて、菅野直の伝説が始まる―――

 

菅野直_パラオ

 

爆撃機に衝突覚悟の突っ込み戦法を編み出し多数撃墜

弾切れしたら機体を尾翼にぶつけて鈍器として使う漢

機体に黄色のペイントで目立ち米軍から「イエローファイター」

④ヤップ島にて2週間で撃墜17機・撃破46機

⑤「部下から特攻隊を選べ」と言われ拒否

 

①爆撃機に衝突覚悟の突っ込み戦法を編み出し多数撃墜

菅野直率いる部隊は、パラオにて大型重爆撃機を迎撃する任にあたっていた。

 

当時戦闘機での戦いは、相手の後方に位置取りして攻撃することが基本戦術であったが、爆撃機には「銃座(ボールターレット)」という、後方の死角をカバーする攻撃手段を持っていたため、このマニュアル戦法が通用しなかった。

 

前上方背面垂直攻撃

 

そこで菅野直が編み出した新しい戦法が「前上方背面垂直攻撃」です。

 

前上方背面垂直攻撃

 

名前の通り、爆撃機唯一の死角であった真上から真っ逆さまに降下しながら攻撃するという極めて危険な戦法。

 

前方をすり抜けることは衝突のリスクを上げる危険な選択ではあるものの、後ろからすり抜けると銃座から射撃を受ける可能性があるため、衝突のリスクを背負ってでも、前方からすり抜ける必要…その方が菅野好みだった。

 

この「前上方背面垂直攻撃」を菅野から直接教えてもらった森岡寛は、「昭和19年11月から始まった爆撃機B29の邀撃戦でもめちゃくちゃ役に立った」と残している。

 

日本の戦闘機は強かった

日本の戦闘機はアメリカの機体よりも高度を飛ぶことができ、菅野直が行ったような「敵を上から叩く」という戦法が可能だったため、空での戦闘はそこそこ有利に行うことができていた。


しかし、日本軍はコンプラをちゃんとしていなかったため、米軍に捕まったとき戦闘機をそのままにしたり内部情報を漏らしたりと、日本軍の情報を隠さない人間が多かったらしい。その行動には、アメリカも「マジで?」と思っていたとかなんとか…。


そのため、アメリカ側が日本の戦闘機の構造を解析し、対策を取られ、高度の有利は早くに覆されてしまった。

 

②弾切れしたら機体を尾翼にぶつけて鈍器として使う漢

これはまだ「紫電改」が生まれておらず、「零戦」で爆撃機と戦っていた時の話。

 

先述した通り、「前上方背面垂直攻撃」で爆撃機と戦っていた菅野。

攻撃手段がなくなったら、衝突スレスレを超えて、自ら尾翼に機体をぶつけて爆撃機を落としたこともあるらしい。

 

前上方背面垂直攻撃_菅野直

 

たいあたりで主翼を損傷した零戦は、そのまま不時着し、菅野は生還した。生命力が強すぎる。

 

③機体に黄色のペイントで目立ち米軍から「イエローファイター」

 

【プラモデル】川西 N1K2-J 局地戦闘機 紫電改(菅野直モデル)

 

菅野は隊長である自分が目立つことで、敵の注目を自分に集めた。

 

菅野直の思惑通り、アメリカ軍は菅野の機体を狙うが、先述した通りの恐れ知らずな戦法で突っ込んできては仲間が撃墜され、全然倒すことができなかった。

 

そのため、菅野の機体デザインから取ったのか、イエローモンキーから取ったのか、菅野直はアメリカ軍から「イエローファイター」と呼ばれて認知されていた。

 

④ヤップ島にて2週間で撃墜17機・撃破46機

ヤップ島

 

菅野の部隊メンバー、笠井智一一等飛行兵曹というやんちゃな人物(と他3人)は、慰安所で憲兵隊隊長と殴り合いのケンカをしてしまい、相手から「テメッ、ドコチュウダ、コラ(貴様らどこの隊の者だ)」と言われたので、啖呵の意味を込めてバカ正直に自分の所属を教えてしまう。

 

翌日、菅野のもとに憲兵隊がやってきて「うちの店でよぉ、暴れたやつがそっちにいるんだわ。ちょっとソイツ出して落とし前つけさせろや。(※イメージです)」と、犯人の身柄を引き渡すように要求するが、菅野はコレを拒否。しらを切った。

 

「笠井ぃ?知らんな、そんなヤツ。」

 

しかし身元が割れているため、憲兵隊はしつこい。

そこで菅野は思いついた。交代制で行っていたB24の空襲を退けるための任務を買って出て、圧倒的戦果で黙らせよう、と。

 

そんなこんなで菅野は笠井ら問題児4人+ほか隊員を引き連れて出撃。

 

16日から23日まで、連日のように

来襲してきていたB24爆撃機を

17機撃墜・46撃破という

成果を挙げ、菅野は表彰される。

 

もちろんこの成果は菅野一人の成果ではないが、

菅野が考案した対爆撃機「前上方背面垂直攻撃」の優秀さと、それを実践する部下の勇敢さが伺える一幕となっている。

 

⑤「部下から特攻隊を選べ」と言われ拒否

優しい兄を進学させるために自ら軍学校へ行った菅野直。

かっこいいもの好きだったらしいので、全部が全部家族のための自己犠牲ではなかっただろうが、愛情深く思いやりのある人間だったことは、彼の戦友たちの言葉で語られており、篤実な人柄は自身の部下にも発揮されていた。

 

特攻の任命を断固拒否

「菅野は徹底して自分のスジを通そうとした。そしてスジが通り、意気に感じたら猛然とやる男だった。だから特攻に疑問を抱いていた彼は、もし特攻隊長になれないといわれたら、おそらくものすごく反抗しただろう。」

 

『最後の撃墜王』より

小島のコメント

 

菅野は特攻という行為自体は忌避していなかった。

嫌っていたのは「自らの意思ではない特攻」

 

高い志のもと、自ら命を捧げるならまだしも、そんな覚悟を持たないものに無理矢理「命を捨てろ」と命令するのを、菅野は嫌った。

 

なので上から「お前の部隊から特攻させる人間を選べ」と命令されたとき、自分の部下に死んでこいと命令するのを嫌った菅野は上司に「部下を特攻させるなら、まずは俺が先頭に立つ」と言い、優秀なパイロットだった菅野をむざむざ失いたくはない上司によって、この命令は撤廃された。

 

菅野直は冬休みなどで友達に会えないと、日記に「ダチに会いてぇ」と綴ったくらい、友達大好き人間。

部下を大事にする気質は、子供時代のガキ大将経験から脈々と受け継がれてきた、彼の性分だったのだろう。

 

漢・菅野直の最期


昭和20年(1945)8月1日

343空戦闘301飛行隊長・菅野直 戦死

 

この日、B29爆撃機を邀撃するため出撃した菅野部隊、343空「紫電改」編隊。

しかし任務に向かう中、菅野直の搭乗機の機銃が筒内爆発を起こし、攻撃不能の状態に。

 

菅野は仲間に電話で「空戦やめて集合」と残すが、他の隊員が集まったところに菅野の姿はなかった。

 

菅野はそのまま行方知れずとなり、そこから9日後、志賀淑雄少佐が公表した兵士の戦死状況(公式見解)を伝える「見認証書」では

 

「10時15分高度6千メートルの優位よりP51六機の奇襲を受け、壮烈なる戦死を遂げたり」

 

となっている。

しかし、戦勝国であるアメリカ側の記録とは若干の食い違いがあり、菅野直の機体を撃墜したという記録はない

 

 

撃墜記録/未帰還者

確認機体/出撃記録

戦闘時間

アメリカ

4機撃墜

フランク

(四式戦闘機「疾風」)

10:15

日本

3名戦死

紫電二一型

(通称:紫電改)

10:15

 

「イエローファイター」と名前までつけられた大尉の機体を撃ち落としたのなら、報告に上がっていてもおかしくはないが…

陸軍の「疾風」と海軍の「紫電改」のデザインは似ているので、誤認した可能性も捨てきれない。

 

ちなみに、陸軍の「疾風」が近くを飛んでいたという記録はなく、

いくら陸軍と海軍の仲が悪いといっても、仲間の機体に細工したり撃ち殺したりはしないと思いたい。

 

遺体は発見されていない、もしかして…

意外とどこかで生きていた、かも…?

 

 

菅野直をモデルにした作品

 

漫画「紫電改343」|漫画『永遠の0』作画担当の作品

漫画「紫電改343」

 

あらすじ

敗戦の色濃い昭和十九年十一月、大日本帝国海軍大佐の源田実は「本土防衛の切り札」として規格外の構想を打ち立てる。

それは各地のエースパイロットを集めた超精鋭部隊の設立。

のちに伝説の航空部隊として名を馳せる「剣部隊」――第343海軍航空隊である。

だが、部隊の指揮を任せようと考えていたスーパーエース・菅野直には、特攻の命令が下されていた…!

最強の343空にあって“撃墜王”の名で畏れられた男・菅野直を主人公に据え、勇猛無比な若きパイロットたちの魂を圧巻の筆致で描く!

 

アニメ「ブレイブウィッチーズ」|管野デストロイヤー直枝

 

あらすじ

1930年代、欧州を中心に突如出現した人類の敵「ネウロイ」。通常の兵器による破壊が困難なネウロイに対抗できるのは、ウィッチと呼ばれる、特殊な魔法力を持った少女たちだけだった…。「ブレイブウィッチーズ」は「ストライクウィッチーズ」第1期と第2期の間の物語。1944年9月、第501統合戦闘航空団「ストライクウィッチーズ」を中心とした連合軍の活躍で、ガリア共和国上空のネウロイの巣が消滅、欧州西部の安全が確保された。これを機に、連合軍は本格的に欧州中央~東部方面への反抗作戦を計画。オラーシャ帝国ペテルブルグに基地を構える、第502統合戦闘航空団「ブレイブウィッチーズ」にも出撃の命が下されようとしていた。人類の希望を背に、勇気あるウィッチ達が、東欧の寒空を駆け巡る。

 

キャラクター:菅野直枝

扶桑皇国出身のウィッチ。勇猛果敢な性格で、振る舞いや言動は荒々しく見えるが、実は隠れ文学少女で人一倍の仲間思い。特にニパ、クルピンスキーとは一緒に行動することが多く、いつも彼女等に振り回されてしまう。

 

まとめ:まったく脚色されていないドリフターズの菅野

菅野直は石川啄木のファンで、石川啄木は与謝野晶子のファンだった。

 

与謝野晶子は日露戦争時に「君死にたまふことなかれ」と、国への恨みつらみと弟の心配の詩を呼んだエキセントリック詩人。

 

石川啄木は友人の好意に甘え60人以上からお金を借り、生涯年収を超えて借金した文豪借金四天王の一人。

 

まあ、この二人に限らず当時の文豪はだいたいエキセントリック詩人ポエットだけど…。だからか?

文学に関心の深かった菅野直が文豪に負けず劣らない伝説を残しているのは、そういう事かもしれない。

 

ぶっ飛んでいるから文豪なのか、文豪だからぶっ飛んでいるのか。

菅野直を見るに、前者だろう…。

 

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※本ページの情報は2024年12月時点のものです。最新の配信状況は各動画配信サービスサイトにてご確認ください。

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執筆

オっさん

火薬とファンタジーと筋肉が好き。趣味はボディメイク。ポケットに無限大な夢を詰め込んで冒険に出かけたい人生だった。アウトラインギリギリをアクロバティックに疾走したい。

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